サヨナラ・・・瑛子さん
ひと仕事を終えて、用賀駅の地下のソバ屋で昼飯を食っているところに携帯電話が鳴った。昔の会社のスタッフからで、石岡瑛子さんが亡くなったと知らされた。
しばらくは、驚きで声も出ず身体の中から潮が引いていくような気分で、飯は終わっていたのだがすぐには動き出すことも出来ず思わず酒を注文してしまった。
ここしばらくは、お会いすることもなく、手紙や電話があったりしたのも大分以前のことだった。昨秋、NHKの番組で、ラスベガスのスパイダーマンの衣装デザインの仕事振りが紹介されたのを観て、相変わらず頑張っている姿に安心もしたのだったが・・・・・
以前、このコラム欄「小さな巨人」で、サンフランシスコのバークレーにある「Chez Panisse」の話を書いた事がある。今だから言ってもいいと思うのだが、そこに出てくる「I」さんは「石岡瑛子」さんのことなのだ。
石岡さんと私の付き合いは1990年頃から10年近く続いた。
私がふたつのプロジェクトを抱えていて、その総合クリエーティブ・ディレクターとして石岡さんに白羽の矢を立てお願いしたのだ。
当時、石岡さんは日本からニューヨークに仕事の拠点を移していた。
その最初の仕事が三島由紀夫の生涯を映画化したポール・シュレイダーの「ミシマ:ア・ライフ・イン・フォー・チャプターズ」の美術担当だった。映画の美術は石岡さんにとって初めての体験だったのだが、その高評価(カンヌ国際映画祭最優秀芸術貢献賞を受賞)にも拘らず日本での上映はかなわなかった。日本という国は、今もって真の表現の自由など存在しない国なのである。
表現者として、この上ない受難を体験することになったのだが、そのことはむしろ石岡さんの戦闘意欲を駆り立てることにもなった。その後、グラフック・デザイナーから映画、舞台、オリンピックへと、その表現の場は飛躍的に拡大し華々しい業績を残すことになった。
石岡さんとの思い出話を語ればきりがない。
私がこんな時にそれを語ってよいものかどうか、そんな資格があるのかどうかも分からない。語り尽くせないほどのエピソードで満載なのだが、こんな事態にそんなことを話してよいとも思えない。ただ、年明けになってしまうまで長く真っ暗なトンネルから抜け出したばかりだったのだが、石岡さんとの過去の出来事がさまざまに思い起こされ、毎夜眠れることが出来なくなってしまった。
私の手元に、石岡さんと共に作り上げたプロジェクトのパンフレットがある。
そのパンフレットに「時代のキーワード」というタイトルの石岡さんの文章が載っている。その部分をここに紹介しようと思う。
石岡瑛子さんという女性の生き様は、まさしくここでキーワードとして掲げた「スパイン=背骨」が、強固に真っ直ぐに通っていて、絶対にぶれることがない。
一切の妥協を許さず、どこまでもこだわりぬいた仕事に対する姿勢をもって表現者としての才能を遺憾なく発揮した生涯は、そのまばゆいばかりの業績に明らかだ。
石岡さんとのコラボレーションのもうひとつのプロジェクトは、新たな時代に向けた日本の伝統の再構築がテーマで、その「コア」として盆栽を据えた。禅とかタオイズムという精神分野にまでその思考分析は及んだ。石岡さんの役割は、このようなテーマをアートとしてビジュアル化し如何に現代に価値化するのかという点にあった。
以下に示す盆栽の一例は、盆栽を如何に観るのかというひとつのテスト撮影で、私がトライしたものだ。
石岡さんからは「ペンおじさんに盆栽の話しをしたら撮ってみたいと言っていたわよ!」という知らせもあった。
「ペンおじさん」というのは、アメリカの写真家の巨匠、アービング・ペンのことで、石岡さんは、ジャズのマイルス・ディビスの「TUTU」のアルバムのジャケット・デザインでグラミー賞を受賞しているが、その撮影はアービング・ペンだった。
またこの頃、ニューヨーク近代美術館で開かれた、漫画をアートに昇華させたポップアートの巨人、ロイ・リキテンシュタイン回顧展では、その最晩年の作品が立体の盆栽の連作だった。
石岡さんと私が目差した、日本の伝統の価値の新時代に向けたワールドな展開は挫折に終わったが、外国人の良質なアーティストやデザイナーなど、例えばアップルのスティーブ・ジョブスの仕事への構えは、日本の禅や匠の伝統の価値に大きな影響を受けて新たな価値を革新的に創造した。
そのジョブスと石岡さんはジャンルは違っても多くの共通点を感じる。常に三宅一生を着続けているだけでなく、どこまでもディテールにこだわりまくる姿は狂気といっても過言ではないだろう。また、カテゴリーは違っても二人ともグラミー賞を受賞しそして同じ病で倒れてしまった。
石岡さんは、「デザインは思想を表現するものである以上、言葉で意味が説明できなくてはデザインではない。」という。
そのような知性に加え、エモーショナル(感情的)でなければ人を動かすデザインを創り出すことは出来ないともいう。
ここでいう「デザイン」を「仕事」、「ビジネス」と置き換えても同じだと思う。 実は今でも、私は石岡さんに叱咤されていると感じながら仕事を続けている。
不思議なことにこのたびの出来毎で悲しみの感情に襲われることはなかった。
ただただ突出した才能と大事な畏友を失った無念とはかなさが胸を詰まらせた。
最後に一言いたいことがある。
それは、とりわけ日本の同業者や業界人から聞こえる石岡瑛子に対する毀誉褒貶、また、日本が生んだデザイナーとして国際的に第一人者であるにも拘らず、それを冷ややかにも軽視するようなメディアの姿勢は、この島国のしみったれた根性にもとづくねたみとしか考えられない。
そういうのを負け犬の遠吠えというのであって、吼えれば吼えるほどその負け犬振りが際立つように見える。
すっかり、ゆるキャラ国家に成り下がってしまった感のある昨今、その対極にあって、降りかかる多難をただならぬ闘争心をもって戦い抜き勝ち取ってきた石岡瑛子のサバイバル精神は、これからの時代を生き抜くためには不可欠な精神ではないのか。
その生一本な女性特有の真面目さ、愚直さが、いかに偉大な才能を支えてきたのか、ということが不甲斐ない男どもには分からないのだ。
私は、石岡さんに限らず、常に女性の云わんとしている事の方が正論なのだと思っている。
合掌