また、犬に救われた
ショップの近所に、昼飯を食べに行ったり出前を取ったりと、とても重宝している中華屋さんがある。先日、その店に行った時いつもと違った様子に気が付いた。
10席くらいのテーブルがあり、それぞれに黄色の旗が立っていて、そこには「おかげさまで開店45周年になりました!全メニュー50円引きです!!」と書かれていた。
ひとつの仕事を45年間も続けるのは並大抵のことではないだろうなぁ、と感心した、 と同時にラーメン定食を食べながら、己の過去を振り返ることにもなった。
私が商売を始めたのが26歳で、今年68歳になったのだが、この42年間どれほど商売替えをしてきたのか、あまり思い出したくもない過去でもあり、恥ずかしくて話にもならないほどなのだが、ところで100CLUBは何年経ったのだろう、と、思いを巡らせることになった。
これがいけなかった。
過ぎ去ってしまった時を振り返るようなことはしない方がよい。
昨年の夏の終わりの頃、そんなことに思い至ってからもう年も明けてしまって、今に至るまで頭の中は混乱状態に陥り、体調まで狂い始める事態になってしまった。
自分以外、誰にも解らないこの苦しみは、当然の事ながら一人で背負い込むほかないのだし、それが身を裂くほどの苦しみであろうとも何とかしてこの状態から抜け出さなければならないともがき苦しんだ。
したたかに酒を飲んだり、旅にも出て気分転換を図ろうともした。
しかし何をやってもどうにもそんな鬱状態から抜け出すことが出来ず立ち往生した。
もう二度とやらないと誓ったはずだったペット関連ビジネスに性懲りもなく再び手を染めてしまい、この間、案の定、懸念していた以上に困難な状況を体験することになった。
何故、ペット関連ビジネスをやりたくないのかといえば、我々人間と違い、まぶしいほどにピュアな存在であり、あっけないほどシンプルな犬や猫の生命そのものをビジネスのコア(核)にせざるを得ないという不条理を内包していることだ。
ビジネスである以上、否応なく偽善と欲得まみれの人間社会に巻き込まれることになる避けようのない現実を最初の体験で知り過ぎているからなのだ。
また、過去をつまびらかに振り返ることの苦痛に加えて、昨年の3・11以降、改めて顕かになったこの国の醜悪な姿に、怒り、諦観、虚無感・・・そんな感情が入り混じって胸が詰まるような思いに苛まれ続けた。
それでも、あれこれと気分を変えることにトライし、少しづつ正気を取り戻しつつあったある時、友人のSさんがベトナムのフーコック島へ旅行に出掛け、その島にしかいないといわれているフーコック犬を撮影してきた。
その写真を見せられた途端、目の色が変わった。
フーコック犬は中型犬で、その全ての背骨の中央にリッジバック模様がある。その部分だけ首の下からしっぽの付け根までの毛が逆に生えているのだ。
ローデシアン・リッジバックやタイ・リッジバックは知られている。私も一時期ローデシアン・リッジバックを飼っていたことがあって、今でも欲しい犬の一番手に挙げても良い犬種なのだが両種とも大型犬で、とても今の私では飼うことはままならないが、このフーコック犬なら飼えないことはない。
そうなると何とかしてこの犬を日本に持ち込めないだろうかと、一週間ほど妄想が膨らむだけ膨らんだ。
そして気が付いたら、いつの間にかこれまでの長い真っ暗なトンネルから一気に覚醒している自分がいた。
フーコック犬という、初めてみる犬を見せられ犬キチ魂の血が騒いだことで鬱状態だった気分が一挙に消し飛んでしまったのだろう。
フーコック島ではこのようなリッジバック犬が、ノーリードで島中うろうろしているそうで、犬にとってはこの上ない天国のような島だと思うし、私も10年前なら即刻ベトナムに飛んで行ったに違いない。
また、このような最中に企画した「馬肉で育った100の子たち」に寄せられた多くのお客様からの声、そして元気そのものの犬や猫たちの姿にも励まされることになった。
加えて、15周年のお祝いの言葉もたくさん頂き、また新年のご挨拶まで頂いたことは感謝に堪えない有難いお話で、何の返礼も差し上げられなかった事をお詫びすると同時に、この場を借りて深くお礼を申し上げなければならない。
桜の咲く時節になればもう少し元気が出るだろうと思っている。