節電禮讃

 東日本の大震災以降、電力の節電が呼びかけられていて、そうしなければならないという多少ファッショ的な感じがしないでもないのだが、100CLUBのショップ、事務所でもできるだけ必要ない電力を使わない方がいいだろうということになり、看板の点灯を止め、冷凍庫も一台は使用停止としたり、支障のない範囲で節電を心掛けるようになった。
 その結果は、毎月請求される電気料金に反映され、貧乏会社としては誠に有難いこととなり、もう少し何とかならないかと、節電に対し思わずモチベーションがあがり、また来月の請求がどのくらい減るのか楽しみになってきた。
 これまでショップとしてはお客様本位である以上、夏になればなるべく涼しくしよう、冬になれば寒い思いをさせたくないと様々に工夫をしていた。そして今年は新たにショップ側にも冷房を設置しようと考えていたが止めることにした。
 夕刻から点灯していた看板の照明も点けないので、住宅街にあるショップは、営業をやっているのかどうか、ショップの正面に立ってみないと分からないくらい真っ暗だ。
 それでも一元のお客様が見えるわけではないので、暗いからといってショップが見つからないほどのことではない。
 
 そんなことをしているうちに、ふと昔読んだ本を思い出し、書庫の中から引っ張り出して再読した。
 それは谷崎潤一郎の「陰翳禮讃」で昭和8年12月号~昭和9年1月号の「経済往来」に掲載された名随筆だ。
 
 「陰翳禮讃」では、日本建築、和紙、漆器、食、仏像、能、人形浄瑠璃、女性などなどを例として挙げ、これらの美しさはそれぞれ陰翳を基調とした闇があればこその美であり、電燈などの照明のもとではその美しさは消滅してしまうというのだ。
 昭和8年の話である。
 私は昭和19年の生まれだが、子供の頃は3日と明けずに停電で、蝋燭は欠かせない照明だった。田舎だったせいもあるのかも知れないが、鼻をつままれても分からないくらいの暗闇があちこちにあった。
 もし、谷崎が今の時代を見たならば気絶してしまうほどの明るさであるに違いない。

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 先年、伏見稲荷に行き、地元では「お山する」と云うようだが、本殿の裏山を4時間くらいかけて参詣した。そこで見たものは、何百年にもわたる今にも続く痛切な祈りの集積が、もうこれ以上の祠を作ることはできないだろうと思われるほどに奉られていて、それぞれの祠にはおびただしい数の蝋燭の灯明が累々として納められている。
 東京王子の稲荷神社も大晦日の夜に狐火を照らし狐の白装束で行列して山入りをする行事が行なわれているが、伝統的な日本の信仰、そのすべては、夜陰の闇の中で行なわれ、闇に対する畏れが祈りの背景にあったのであり、同時に谷崎がいうように日本の文化、芸術の生まれる背景には闇こそが日本人の精神を形成し醸成していたに違いない。
 
 今、日本では、伝統的文化、芸術が雲散霧消してしまった。
 その原因が、現代文明の増殖であり、電化、電子化によって人間性の核が犯され劣化してしまったのではないだろうか。
 昔、福島県土湯温泉にある阿部こけし店では、店のディスプレイのこけしの頭に電燈をつけていた。そして客が来ると「これがほんとの電灯(伝統)こけしだぁ~」と言っていつも客を笑わせていたが、今は冗談では済まなくなってきたような気がする。
 
 経済、効率至上主義が強欲をもたらし、破廉恥をものともしない言動によって国家の中枢さえ支配されている。このことは今更ながらともいえるのだが、この度の原発の事故によって一層あからさまになった。
 建前と本音、義理・人情、舞台と楽屋、見せなくも良い物、見せるべきではないもの。そういった、矜持と云うのか流儀が逆さまになってしまい、いわば価値の倒錯が普段の光景になっている。
 これからの日本の国はどうなっていくのだろうか。そして、われわれ庶民の暮らし向きはどのように変化していくのだろうか。
 このような重大な問題に対しても私たちは本当に無力である。
 
 しかし、原発における政官産学、加えてメディアの癒着の構造は、ペットの世界にあっても全く同様で、そのような人災が犬や猫たち、そして飼い主を大いに苦しめている。
 このことを思えば、もしかすると私の様な者でも、今の仕事を通じて少しは人様のお役に立てることもあるのかも知れない。
 ノンポリの私ごときが政に口出しする資格もないが、ショップの照明は真っ暗でも、むしろこの機に、闇の中に身を置くことで正常な人間性だけは喪わないよう心して掛からねばならない。
 節電ばかりに精を出していればいいというものでもないような気がするが、考えてみれば犬も猫たちも本来夜行性で、過剰な照明は大きなストレスになりかねない。
 節電ということが目的化するのではなく、このような事態を肯定的に捉え、自分としては必要最小限の明かりで生活し、陰影のある環境下でゆっくりと自省を込めながら仕事を進めていこうと思うこの頃である。

 
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