髭のない猫の絵

私は犬との付き合いも長いのだが、実はかなりの猫好きでもある。そもそも100CLUBのオリジナルフード、馬肉の生食は、昔、友人の猫のブリーダーに教わったものだった。
昨年、それも押し詰まった年の暮れ、急に思い立って宮城県多賀城市にある「縄文犬の墓」を観に出かけたのだが、久しぶりに仙台の宮城県美術館に寄って「洲之内コレクション」の一点、長谷川燐二郎の「猫」を観ることも一方の目的だった。050512b1    長谷川燐二郎 「 猫 」 ー 「洲之内コレクション」- 宮城県美術館

 ところが美術館に行ってみると、いま「洲之内コレクション」は展示していないという。そんな馬鹿なことは無いはずだ。「洲之内コレクション」がこの美術館に収まった第一の理由は常設展示だったのではないか。そうなったことで白洲正子さんなども、いつでも洲之内さんに会えると喜んでいたのではなかったのか。
まあ、そんなことをグダグダ言っても始まらないのでそのまま引き下がり、ヤケになったわけではないのだが、仙台ではかき鍋をたらふく食っただけで「猫」を観る目的は果たさずじまいだった。

 今回、その長谷川燐二郎の作品「猫」を、所蔵者、そして宮城美術館のご好意によって本ページに載せることが叶った。この「猫」の絵について洲之内さんは、その著作「絵の中の散歩」 (新潮社)で、


 長谷川さんの仕事の遅いのには泣かされる。「猫」の絵だけは、6年前にもう完成していた。完成していると思ったので、私に譲ってくださいと頼んだ。すると長谷川さんは、まだ髭をかいていないからお渡しできませんと言った。
「では、ちょっと髭をかいてください」と私は重ねて頼んだ。すると長谷川さんはまたかぶりを横に振って、猫が大人しく座っていてくれないと描けない、それに、猫は冬は球のように丸くなるし、夏はだらりと長く伸びてしまって、こういう恰好で寝るのは年に2回、春と秋だけで、だからそれまで待ってくれ、と言うのである。
絵の中の猫は、それから何年目かに初めて髭を生やしてもらった。
「髭をかきました」長谷川さんの差し出すキャンバスを受けとって見ると、どういうわけか左半分の髭しか描いてない。しかし私は、どうして右側の髭がないのか訊かなかった。下手なことを言って、また何年も待つことになっては大変だ。


 と言っている。
続いて長谷川燐二郎が愛猫タローについて書いた「タローの履歴書」を紹介している。署名は燐二郎氏の代筆だが、捺印は猫の前脚の裏に赤い絵の具を塗って捺印したものだった。その一部は、

履歴書
(前略)
学歴 幼時家庭教師につきてフランス語と音楽を学ぶ。フランス語は特に二つの章句に関して造詣深し。
Le chat sage boit et mange avec sobriete
(賢き猫は節制を以って飲食す。)
Vivez conformement a ce que vous croyez
(汝の信ずる所に従って生きよ。)
音楽はクラシック、特にフランソワ・クープラン及びエリック・サティの曲を愛好す。ラジオの前に座し、時に微に尾を振りてテンポの可否を確かめることあり。
趣味 食事。特有の美食の感覚発達す。 (略)フランス料理を食べ、おでんを食べ、清元を聞きたる後にベートーベンを聞くといった雑色文化を好まず、一本筋の通った純粋な世界の形成を愛する 都人士の風格あり。好きなもの、鯵、牛乳、ナマリブシ、貝類、チーズ、バターつきパンなど。食欲のない時は決して食べ物を口にせず。満腹だけれどおいしそうだから一口食べてみようなどという主人の愚行を真似ず。
特技 鼠はとらざれど、庭にて小鳥をとるハンターとして技神に入る。
足音なく歩むこと、白昼に夢の線を描き、明瞭なる幻影の存在を示せり。
身長 不明。時により変化す。
(後略)

 32~42.5cmの油絵の小品に7~8年もの時間を掛ける長谷川燐二郎という画家、そしてその絵の完成を、個展を開くために気長に待っている洲之内徹という画商。この妖怪じみた画家と画商が極めて特異な存在であったことは否めないが、昭和40年頃までは、今と違って日々の暮らし向き、取り分け時間の概念があきらかに異なっているように感じられる。金とか時間とかの効率が優先されるのではなく、静かにゆったりと時が流れ、義理、人情、遊心、粋などという精神が美徳とされた当時の時代風景が何故か今は滅多に見られない。

 例えばペット社会を見渡しても、犬や猫を飼っている多くの人たちがペットを金儲けの道具としている輩に踊らされ、動物病院通いや、やれ、しつけだのトレーニング、美容室、ペットフード、健康食品、果てはマッサージ、鍼灸や東洋医学などに血道をあげ、あたかも、その様なことを相当きちんとやらなければ飼育者として失格するのではないかという強迫念にとらわれているかのような有様だ。
犬や猫を飼い、一緒に生活することはもっと楽しくのどかな環境であるべきで、飼育面についてノイローゼになるほど神経質に考える必要などない。ただ、まともな食事を与え、犬は犬、猫は猫の習性に則ってつきあってあげればお互い幸せに過ごせることは容易にできるはずだ。人間が必要以上に犬や猫の領分に入り込みすぎ擬人化することは犬や猫にとっては大いに迷惑であるに違いないし、人間の傲慢に過ぎるというものではないか。

 長谷川燐二郎の作品「猫」。その静謐感あふれる作品を観ていると、そこには愛猫タローをひたすら恍惚として見とれ、慈しむように一筆一筆キャンバスを埋めている猫を愛して止まない画家がいる。
ただそれだけのことに過ぎないのだが、ただそれだけという境地が如何に豊かな世界であるか、と思わずにはいられない。

 
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