生命に託された使命
ところで、犬も猫も、花も樹も、人間が適正な管理をしなければまともには育たない。
例えば、桜の名所といわれるところでは、何人もの桜守が年中管理を怠らない。
本当の自然林では、倒木更新や山火事など、また野生の動物では自然淘汰といったように、自然の摂理にしたがって輪廻転生が脈々と流れている。
しかし、一度人間が関わった自然、つまり、犬や猫たち、そして公園の樹木や桜などのクローン樹は、徹底的に手を掛けなければその生命を健全に保つことは適わない。
適正に手を掛けるということは、言い換えれば技術ということであり、巧拙が伴うことになる。
犬や猫の飼養にも巧拙があり、健全に育てることが巧みな飼い主であれば、犬も猫も立派で生涯健康に育つのであり、花も樹も、巧みに丹精を込めれば美しい花を咲かせることができるし、樹勢の乗った樹にも成長するのだ。
自然の生命に手を掛けるということにおいて、その結果責任は、すべて私たち人間に託されていている。
その技術の巧拙、愛情、情熱など、そういった要素が、私たちを限りなくなぐさめてくれる生命の命運を担っているといって過言ではない。
それらの1点でも欠けていれば、自然に手を掛けることなど、やってはならないことなのだと思う。