犬を通して人が見える

 上野の湯島天神下に羽黒洞という主に肉筆浮世絵を扱っている画廊があります。

 この画廊の主は、木村東介さんという稀代の美術商で、昔、美術商の端くれだった私の師匠でした。東介さんは10年ほど前に亡くなられてしまったのですが、天神下の画廊は今も健在で、東介さんの遺志を継がれた長女の品子さんが、毎月のように素晴らしい企画展を開いています。

 その私の畏友である品子さんが、先日、日本経済新聞の文化欄の切り抜きを送ってきてくれました。「犬を通して人間写し出す」エリオット・アーウィット、という小文でした。

 アーウィットは50年代のアメリカの代表的な写真家の一人で、「我われは犬である」という写真集が知られています。
この小文の中でアーウィットは、


『映画「8・1/2」「甘い生活」の監督、フェデリコ・フェリーニはユニークな変人を大勢スクリーンに登場させたが、ある時、「どこからあんなに個性的な人物を探してくるのか」という質問を受けてこう答えたと言う。
「鏡を見なさい」
この言葉はそのまま、なぜ私が犬の写真を撮るのか、という問いへの答えでもある。私が長年、犬を通して写し出そうとしてきたのも人間だ。犬の滑稽な姿を笑うとき、人は自らを笑っている。』

 と書いています。

 思えばこの3年の間、私もたくさんの犬たちを見てきて、同時にそれ以上多くの飼い主さんたちとお会いし、お話をし続けてきたわけです。

 そこで体験したことは、犬たちを見ていると飼い主さんのことが何となく想像でき、飼い主さんとお付き合いしていると犬たちのことが分かるような気がしてきたことです。

 犬たちもまた飼い主である人間、また社会を反映するものだとアーウィックが言っていることは、私自身の体験からしても、犬や猫たちとともに暮らす我々人間にとって肝に銘じるべき箴言ではないかと受け止めました。

 
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