モノの値打ち

このところ、本を読むと目の疲れがひどくなり、また、読んだ傍から忘れてしまう。テレビも面白い番組が少なくなって、テレビに向かって罵ってみても仕方がないのでできるだけ見ないことに決めた。
そこで、空いた時間は、これまで集めたジャズのCDを引っ張り出して毎晩のように聴いている。そのCDも、今後よほどの時間をかけなければ、一生聴き終わらないのではないかと思うほどの枚数がある。
また、昔は気に入っていたアルバムも、今聞いてみると、さほどのものでもないなぁ、と感じるものもあって、こんなことなら何回聞いてもズゥーンとくるようなものだけ残して、この際余分なCDを処分してしまおうなどと考えていた。

そんな折、去年の夏ごろ、何処で聴いたのか忘れてしまったのだが、すごく気になる女性ボーカルリストがいて、その名前が分からないままでいた。そこで病院を出て斜向かいにあるTUTAYAへ入り、ジャズボーカルのカテゴリーの中からあれやこれや当てずっぽうに探してみた。そして多分これではないかと思われるCDアルバムを見付け借りることにした。CDを借りるという体験は初めてで、ようやくTUYAYAデビューを果たすこととなった。
その日以来、この女性ボーカリストのCD7枚を全て借りだして、これだけを一生聴いていてもいいと思うほど毎晩聴き惚れている。

私が高校一年生のとき、つまり50年前のことになるのだが、どうしても手に入れたいレコードがあって、夏休みの一ヶ月間汗みどろになってアルバイトをしたことがある。
あらかじめ銀座の日本楽器に、ブルーノート盤2枚、プレスティッジ盤1枚、計3枚の輸入を予約し取り寄せを頼んでおいた。
指折り数える、とはこういうことなのだろうか、このアルバイトの一ヶ月間ほど長い一ヶ月をいまだに知らない。
そして、いよいよ給料日。一か月分のアルバイト料は8,800円だった。一刻も早く日本楽器へ飛んで行きたかったのだが、LPレコード1枚3,600円、それが3枚で10,800円。足りない・・・・・
東京へ行く往復の電車賃を含め、3~4,000円不足している。予約して輸入をお願いした以上、まさか2枚だけください、という訳にもいかないだろう。
どうしたらよいのか、一晩中眠れない夜を過ごすことになった。いくら考えたところで、結局おふくろを言いくるめるより手がなかった。
とんでもない労苦の果てにようやく手に入れた3枚のLPレコード。マイルス・ディービス、アート・ブレーキー、コルトレーンなど。
今度は興奮してまた一晩中眠らない夜になった。あちこちにジャケットをおいて眺めたり、息を殺してジャケットからレコード盤を取り出し、美しく黒光りする盤面の匂いまで嗅ぐような始末で、3日間くらいレコードプレーヤーの針を落とすことすらためらった。夜は3枚のレコードを枕元において寝た。
この3枚のアルバムは、その後の50年間、ジャズという音楽に浸りきることになるスタートとなった。

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 レコード1枚、今ではCD1枚の価格が、何と50年前とさほど変わらない。ということは、一ヶ月まるまるアルバイトをして8,800円にしかならない時代のレコード1枚の価値が如何ほどのものだったのか想像してみて欲しい。
ましてや、今どきは、CDも買うものではなく借りるものになり、そのCDすら必要なく、パソコンや携帯電話からでも好きな音楽を入手できる時代になった。
先日、TUTAYAデビューして借りてきたCDも、早速、息子がパソコンに取り込んで、もうCDは御用済みだからいつ返して来てもいいよ、と言われた。その上、持て余すほどのCDのコレクションも、必要なものは全てパソコンに入力しておけばいいので、そうすれば押入れがずいぶん広くなって助かる、とまで言われてしまった。

私だけがそうなのか、その年代の者がそうなのか分からないが、いずれにしても私にはモノ狂いの性癖があるようで、絵画、本、音楽、盆栽、犬、鳥、魚など、傍から見れば正気の沙汰とは思えないだろう程にモノを集めだす。悪いことにそれらを道楽にとどまらせず、ことごとく仕事に結び付けてしまおうとするとんでもない悪癖がある。
ビョーキだとさえ言われている。
そんな気違いじみた体験から私が得たものとは何なのだろうか。

タバコの煙が充満したジャズ喫茶で、巨大なJBLのスピーカーからほとばしりでる、腹わたに染み入るようなサウンドで聴いたジャズ。
今でも若い人の中にジャズを聴く人もいるのだろうが、iPodで聴くジャズ。その手軽さ、安さには驚くばかりだが何かが違うような気がする。
映画館で見る映画も、テレビで見る映画とでは、感じとるものが違うような気がする。
テレビが世の中に出回り始めたころ、評論家の大宅壮一が「一億総白痴になる」と予言した。テレビどころかインターネットの登場で、もはや出版文化が崩壊寸前にあるといわれているが、大宅壮一が生きていたら何と言ったのだろうか。
欲しいモノが昔と違って手軽に手に入り、そのことに、さしたる努力も思考も必要としない。その結果、モノに対する思い入れ、愛着も、とても薄っぺらなものにならざるを得ないのではないか。
そんな時代下におけるペットブームという現象に対し、いささか薄ら寒いものを感じるのは旧い考え方なのだろうか。

 
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