ハリケーン、レイ

私にとって、シェパード犬の飼育は初めての体験だ。加えて、お恥ずかしいことに、これまで何百頭もの犬や猫たちを育てきたが、ドッグショーや競技会の体験もない。生来、優劣を競う場に身を置くことが苦手な性質なのだ。

ところがこのたび、Oさんの意向によって私にもたらされたシェパード犬の仔犬は、競技会に出すことによって生馬肉食の有効性を客観的に実証してみたいという目標をもっている。その目標に向けて今後どのような飼育を心がけねばならないのか、中途半端なことでは済まされないだろうというプレッシャーを感じた。0605201 あくまでも食餌管理は私流でやらなければ意味がないことが前提なのだが、競技会に出す以上、徹底した飼育管理と競技会に向けての訓練を入れなければならないだろうと思ったのだ。

そこで、シェパード犬一筋何十年という愛好家の方たちに、飼育や訓練の方法などにについていろいろお話を伺ったり、何冊かのシェパード犬についての本も読んでみた。

シェパード犬に魅せられた方たちは異口同音に、シェパード犬は他の犬種と違い特別なものであると云う。ましてや競技会に出すのであれば、競技会のスタンダードに合わせ多少厳しい強制訓練を入れなければならない。

大方はそのような見解で、競技会で上位を狙うがための犬に対する要求は過酷とも思えるほどすさまじいもので、話を聞けば聞くほど私ごとき者には遠く及ばない世界かもしれないと、すっかり及び腰になってしまった。

あれこれ思い悩んでいるとき、犬の訓練とは多少話が違うと思うが、動物に芸を仕込むということで一つ思い出した話がある。

日本で広く親しまれている猿まわしの大道芸には一千年の歴史があるといわれているが、この大道芸も高度成長経済下、昭和30年末頃にはすっかり姿を消してしまった。その復活のきっかけになったのは、全国の伝統的大道芸復活に熱意を持って取材を続けていた俳優の小沢昭一で、復活の会のプロジェクトに尽力したのが武蔵野美術大学名誉教授で民俗学者の宮本常一だ。その甲斐あって伝統的な猿芸だけでなく、外国種のチンパンジーに芸を仕込みTVコマーシャルに登場させるほど盛んになった。

もっとも、チンパンジーはワシントン条約によってサイテスに定められた希少動物であるため「種の保存法」により告発を受けることになった。

猿に芸を調教するには、ここで詳しく説明する事がはばかれるほど残酷ですさまじいものがある。

その第一歩は、群れの野生動物である獰猛な猿に対し、調教する人間が絶対的に優位でありボス猿であることを猿の肉体に徹底的にすり込まなければならない。

その、避けては通れない血みどろの儀式を経た後、本来4足歩行の猿を2足歩行にさせるため、猿の手を後ろ手にしばり棒をかませる。これをヤマユキの姿勢といい、その姿勢のまま猿の腰の辺りを思い切りさすり続け、猿の曲がった腰にソリを入れる。この訓練はサスリコミといって、猿の腰の毛が何度もはえ変わるほど続けられる。

このような過酷ともいえる調教によって、ようやく2足歩行と、じっと立っていられるようになった段階の猿を、根が切れたという。

さて、このような初期の段階を経て、いよいよここから芸を仕込んでいく訳で、アメとムチを使い分けながら、1日5時間にもおよぶ芸の仕込みが始まるのだ。
猿まわしの芸を見るとき、その滑稽さや可愛らしさのなかに、何とも切ない、憐れさ、寂しさ、悲しさが伝わってくる。猿回しの伝統芸能を否定するつもりなど毛頭ないが、もし私が、そこに見え隠れする人間の傲慢と、本来であれば山野を自由に駆け回っていたはずの猿の悲哀を感じないとしたら、私には犬や猫たちの飼育のあり方ついて、一言も発する資格などないだろうと思わざるを得ない。

ニューオーリンズのメイプル・リーフ・バーに、ジャズやブルース好きにはよく知られた落書きがある。060520poem1 私は、シェパード犬の仔犬に『レイ』と名付けた。そして、あれこれ思い悩んだ末私がたどり着いた『レイ』の飼育についての結論は、これまで自分がやってきたように、ひたすら健康に育てていこうというものだった。

犬たちは犬たちだけで生きているのではなく、例外なく人間と共に生きている。そして、その人間は十人十色で、また犬たちも十犬十色なのだから、犬種ごとに開催されているドッグショーやアジリティー、フリスビーなどスポーツに覇を競うもよし、四六時中ベタベタ甘やかしていてもいいのだ。こんな、私の悩みを分かっているのかどうか私には分からないが『レイ』は、今も足元にいて私から一時も目を離さず、片時も傍らから離れようとしない。

「レイ!競技会には出場するぞ!いつもやっている大好きな駆けっこなのだから、私を追いかけてわき目も振らずしっかり走りなさい。ビリだろうと笑われようと楽しく走りまわればそれでいい。」
『レイ』は、
「うん!分かったよ・・・・。」と、言った。

 
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