ラブミー農場のボクサー

今年に入ってから、何となくうつ状態に陥って、ほとんど家に引き篭もってしまっていたところ、昨年から話のあったシェパード犬の仔犬が届けられた。1月27日生まれで、まだ40日にしかならない仔犬なので、しばらくは自宅で面倒を見てやらねばならないため、そうなればいつまでも篭城を決め込んでいるわけにもいかず、一挙に臨戦態勢に突入することになった。060307_011 シェパード犬を飼育することになったのは、一年程前から100CLUBのフードで食餌管理を始めたOさんの発案による。Oさんはシェパード犬界ではつとに知られた愛好家で、ドイツからの輸入がなかなか困難となった今、何としてもシェパードの名犬を日本で作り上げようという熱い夢をもっておられ、その実現のためには、血統の戦略的交配と同時に、正当な食餌管理が欠かせないと考えられた。
そこで、現在、望みうる最高の仔犬を2頭入手し、Oさんと私とで離乳段階からRAW FOOD(生食)での名犬作りに挑戦してみよう、ということになったのである。

ようやく5頭の秋田犬の仔育てを終え、1頭を残して里親さんに縁付いてホッとしたところで、しばらくは平穏な環境になったことを喜んでいたはずだったのだが、Oさんにそう言われた瞬間、犬キチの虫が騒いで、
「いやぁ、それは面白そうですね・・・・」
などと、前後の見境もなく、私がほとんどその気になってしまっているところに、Oさんは、すかさず傍にいたスタッフの藁谷に向かって、
「藁谷さん!プレゼントしますから、3月4日に犬を取りに来てください。」
「わぁ~、うれしい!!」
その絶妙なタイミングには舌を巻くばかりであったが、そういうことよりも、生肉食の成果を見届けてみたいというOさんの情熱にうたれ、私も、藁谷も二つ返事でシェパード犬の飼育を承知したのだ。

私は、これまで随分といろいろな、それも大型犬ばかりを飼育してきたのだが、シェパード犬はちょっとした理由があって初めての体験になる。

1957年、「楢山節考」によって一躍文壇の寵児となった深沢一郎は、その3年後、中央公論に発表した「風流夢譚(ゆめものがたり)」が、天皇を侮辱するものとして右翼の逆鱗に触れ激しい攻撃に晒されることになった。
中央公論の社長、嶋中鵬二宅は襲われ、お手伝いの女性が殺害され、当然のことながら作者の深沢七郎にも脅迫が相次いだ。
その一件で深沢さんは、数年間、日本中を放浪した、というか逃亡生活を余儀なくされることになった。
60年代、日米安保闘争に日本中が騒然としていた頃のことだった。

そんな事件のほとぼりが冷めた頃、右翼とどのような決着がついたのか定かではないが、深沢さんは、私の住む隣町に「ラブミー農場」を開き定住することになった。
「ラブミー農場」というのは、深沢さんが好きだったエルビス・プレスリーの「ラブ・ミー・テンダー」のもじりで、何と言うこともないベタな駄洒落なのだが、こういうところがいかにも深沢さんらしい不思議さなのだ。

その頃、私は実家の書店を手伝っていたのだが、若気の至りで、怖いもの知らずというか怖いもの見たさということなのか、私はちょくちょく「ラブミー農場」に遊びに行くようになっていた。
初めて深沢さんに会ったとき、深沢さんは体調を崩されていたらしく、万年床のようなところに浴衣掛けで胡坐をかいて私に接したのだが、深沢さんと私の間には、深沢さんの書生が2頭のボクサーと控えていて、もし私が深沢さんに危害を加えようとすれば、たちどころにボクサーが私に襲い掛からんと身構えているのだ。
「ラブミー農場」などというひょうげた看板を上げ、味噌作りと有機農業をのどかに繰り拡げながらも、「風流夢譚(ゆめものがたり)」がもたらした災厄、その恐怖は、深沢七郎という生来のニヒリストに生涯消え去ることのない断裂を深々と刻みつけたであろうことは疑う余地もない。
私は、恐ろしさのあまり、その時何を話したのかさっぱり覚えていないのだが、深沢さんの傍らに置かれた2本の美しいクラシックギター、後ろの壁に掛けられたブルー基調で描かれた奇怪な、おそらく鳥の絵の存在は鮮明に覚えている。

この時のボクサーとの出会い以来、正直言うと、どうもドイツ系の犬種は苦手になって飼育する気持ちになれなかったのだが、昨日から私のところに来て、今、この原稿を書いている足元でスヤスヤ寝ている、まだ名もないシェパード犬の仔犬に見入っていると、やっぱり犬は犬で、いつものごとくデレデレになっている自分がいる。060307_021 とうに還暦を過ぎてしまった私と、その私より大先輩のOさん。
そんな二人が、まるで、親に駄々をこねて仔犬を欲しがっていた子供ように、何とか仔犬をせしめ、日本一のシェパード犬作りに夢中になっているキ印振りは、傍から見れば呆れ返った話に違いないと思うのだが、私も、おそらくOさんも、そんなことは委細耳に入らず、ひたすら、手塩を掛けた犬育てに熱中する日々が続くことになる。

 
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