知らない方が幸せなこと
「口は災いの素」と言われて育ったくせに、口数が多いのが悪い癖で、ずいぶん損な役回りを演じる羽目になってきた。
今更反省しても、もう手遅れなのだし取り返しはつかないのだから、これからもこのようなブログとかFBとかを通じておしゃべりを続けていくより仕方がない。
犬も猫も本当に立派なもので、余計な口は一言も発しないし、とにかく我慢強い。
それに比べて、自分などは相当なバカだから一言多いどころか、相手が辟易したような表情になるまでベラベラ喋りまくってひんしゅくを買うことが少なくない。
こういう悪癖は、歳とともに治っていくものだと思っていたが、それはとんでもない間違いで、むしろブレーキがぶっ壊れたんじゃないかと我乍ら疑ってみる事すらある。
1昨日は木曾の御嶽山が噴火して大惨事となった。
何の前触れもなかったのだろうか?もしそうだとするとこんなに狭くて、しかも火山列島に住んでいる身にとっては、これほど空恐ろしいことはない。
富士山でも爆発した日にはとんでもないことになるだろうし、想像を絶する事態は十分予測できる。
3年前の東北大震災も恐ろしい出来事だった。
私の年ごろの子供時代は、大方、親から関東大震災のことを話して聞かされ、また第二次世界大戦の戦争体験も聞かされて育ってきた。
そのような話を、ここでまた伝え話すのもおぞましいほどの内容だ。
それほど恐ろしく、凄惨な現実は、いま世界を見渡せばあちらこちらで現在進行中なのだ。
人間は自然の前にはまったく無力であり、欲望や、恨み辛み妬み嫉みが基になる戦争も性懲りもなく止まることが無い。
このままだと、そう遠くない時代に、人類も終末を迎えることになるかも知れない。
どうして、そのようなバカげたことが繰り返し引き起こされるのかと少し考えを進めてみると、人間という動物は、幸か不幸か、己がいずれ死んでしまうことを知ってしまった唯一の動物だということなのだと思う。
死に対する恐れが根源となって、あらゆる欲望や攻撃性が止むことはないだろう。
それが人間の本質であり、文化、文明の発生する源でもある。
そんな人間に比べて、犬や猫たちは死を恐れたりはしない。それは人間に比べてはるかに勇気があるのではなく、ただ、いずれ死が訪れることを知らないだけなのである。
身も蓋もないような話に終始してしまったが、いつの日か、人間は死への恐れを克服しない以上、人類に平和が訪れることはないだろう。