鯨は仕方ないけど馬は許して

「食」は文化だという。したがって鯨は日本の食文化だから、捕鯨は許されるべきだと、一般の人たちはどう思っているのか分からないが、日本の体制側では世界の多数の反対意見と対決している。


鯨が日本の食文化であると意識しているのは、はたして世論としてどのくらいの割合になるのか分からないが、自分自身、いつごろ鯨を食べたことがあるのか、とんと記憶がない。鯨の消費量が一番多いのが長崎県だというのだが、たぶん5島列島ではクジラやイルカの追い込み漁をやっていて、伝統的に地産地消されていて、それなら5島には食文化があるといって差し支えないだろう。和歌山や東北でも同様で、捕鯨が盛んに行われているようだが、東京にいて、鯨を毎週のように食べている人がいるのだろうか。


ポール・マッカートニーが、かつて、日本のイルカ漁や韓国の犬肉食、中国の野犬の撲殺について批判をし、そんな国では絶対に自分のコンサートはやらない、と公言したことがある。

それは嘘だったことは今は誰でも知っている。


今、アメリカでは、州によって馬の屠畜が禁止されている。馬肉食はアメリカ、イギリス、オーストラリアなども同様で、人間が馬肉を食べないのだから、犬や猫にも馬肉が回ってくるはずがない。

そのような国の犬や猫たちは可哀想だと私は思っている。


日本では、野生の鹿や猪そして猿、またアザラシやセイウチなどの野生動物が増えて、農業や漁業に甚大な被害を与えている。このような動物を科学的な根拠にもとづいて調整する作業というのは必要なことだと思うのだが、殺生を忌み嫌う感情論ともいえる世界的な世論を説得することは容易なことではないのだろう。


また、日本の調査捕鯨に対し国際司法裁判所がNO!と結論付けたことからみても、日本の国際感覚のズレを感じざるを得ない。

日本人の感覚がまともなのか、それともズレてしまっているのかという課題は、鯨問題だけではなく、様々な政治課題を鑑みても、日本に住み日本のメディア情報だけを鵜呑みにしていたのでは、新しい時代のグローバルスタンダードを把握することはできないのかも知れない。


それにしても、馬肉食だけは国際司法裁判所に掛けられるようなことが無いよう祈っている。野生ではないのだし家畜の位置付けなのだから心配ないとは思うのだが。

 
scroll-to-top