贖罪の一日

年に数日しかない、フリーの一日。
倅から、珀と雪を連れて多摩川に行かないか、という提案があった。
毎年、決まり事だから取りあえず出掛ける初詣を済まし、「珀」と「雪」を車に乗せ、去年、多摩川わんわん倶楽部の方たちに誘われバーベキューをやった辺りに行ってみた。

日頃、私が犬を引けなくなったため、犬にとって絶好の環境に連れ出すことが出来ず、毎日残酷かも知れない飼育に終始している。
そのことを今日改めて思い知らされた。

多摩川の広い河原に放すと、いつもの拍、雪の様子とまるで見違える反応に胸が詰まった。
何と、あのもっさりとした拍が、この寒さをものともせず多摩川に入り込んでいく。
歩くのではなく、走るのだ。
この姿は、「虎」、「桜」、「珀」という秋田犬の三頭が揃っていた時には日常の風景だった。

飼い主がこけると、本当に犬はみじめな事になる。
犬は犬だけでは成り立たない。犬は飼い主がいてこそ犬なのである。
そういう意味で、犬の運命、その生命の全ては飼い主に握られているのだということを、この正月、嫌という程思い知らされることになった。

 
scroll-to-top