脳出血の後遺症で右半身が不自由になった辺見庸が海辺にたたずみ、時には足を引きずりながら歩いた。
そこは宮城県石巻の浜辺で、辺見が石巻の出身であることを知った。戦争で中国に出兵し地獄を体験した父親の話になって、大震災で甚大な被害を受けた石巻を知らずに逝ったことは良かった、というようなことを語っていた。
その後画面は、地下室に向かう階段を、手すりを伝わりながらそろりそろりと降りていき、コンクリート打ちっぱなしの暗い地下の部屋に小さな光一灯でマイクに向かって語り始めた。
話のテーマは「父を問うーいまと未来を知るために」で、父親から聞いた悲惨な戦争の体験から現代そして未来の日本社会のあり方について語ったのだが、その姿を見て衝撃を受けた。
後遺症で不自由になった右腕に、小さな犬を抱いていたのだ。
ブラック・タンの、おそらくチワワを右手に抱いたまま、講演を続けたのだった。
辺見庸は1944年生まれで、私と同じ生まれ年でお互い間もなく73歳になる。身体中満身創痍であるところも同じだ。
辺見は独居暮らしの癒しに犬を飼い、連れ合いとまで呼んでいる。
左手だけで犬の世話をするのも大変だと言いながら、それが犬であろうとも、連れ合い無しでは生きられないほど、人間は深淵な苦悩を背負っているということなのだろう。
その3日後、NHKの日曜美術館は長谷川利行を取り上げた。
その長谷川が上京前、おそらく1920年前後、歌人を志していた京都時代の写真が画面に写った。
何と、長髪でネクタイ背広の利行が、いとほしそうに右腕に犬を抱いるではないか。
利行の短歌を一首紹介する。
人知れず 朽ちも果つべき 身一つの いまがいとほし 涙ぬぐわず
詩人であり作家の辺見庸。画家の長谷川利行。
私が強く共鳴する、いずれも強烈な個性をもつ両者の、いかにも不釣合いに見える姿を見て、これまでより一層親近感をもって作品に接することができるようになった。