「雪」は11年間、人に飼育されたことがなく100CLUBのショップで育った。個別のケージもない、秋田犬3頭の中で生後2ヶ月から放り込まれたのだ。スピッツのブリーダーは、「そんな乱暴なことをしたら死んでしまう!」と大反対をした。
私は経験も含め、犬が、取り分けネオテニー(幼形成熟)という形質を進化させた動物であることを知っていて体験も豊富にある。
ペットショップで仔犬がショーケースに飾られていて、それを見て大方の人が「可愛いい~」と思う。ショップの店員は、すかさずショーケースから仔犬を取り出し、仔犬に見とれているお客に「可愛いでしょ~」と客に抱かせてしまう。これが犬のネオテニーを活用した販売テクニックの第一歩である。
ネオテニーは人に対してだけではなく、群れで暮らすオオカミのなかに子供が生まれると、その子供が群れの大人たちに対して、このネオテニーを発揮する。大人のオオカミは皆で仔オオカミをかわいがる。犬もそうだし人間にもある。この現象も、生命の維持の目的のために進化した現象である。
そんな環境で育った「雪」は人間には全く懐かない犬だった。玉川台のショップでは犬を置けない決まりだったので秋田犬の「珀」とスピッツの「雪」は3人家族の我が家で暮らすことになった。「珀」は甘えん坊だったが「雪」は身体に触れただけで「ワンワン」と大声で怒りまくった。「珀」と「雪」とは本当に仲が良く微笑ましかった。
「珀」は4ヶ月ほどで逝ってしまった。その後5年間、「雪」は飼い主であるはずの、しかも、これ以上無いほどの環境と愛情を独り占めにした生活を送ってきた。しかし、相変わらず、犬の群れで育った「雪」は最後まで飼い主に対しても群れの中の「α犬」として振舞っていた。犬は大好きだけれど人は嫌いなのだ。
こんな風に育ててしまった「雪」ではあったけれど、そのことによって、誇り高き犬という動物の存在を改めて知ることになった。
だから私は、「雪」の死を悲しんだりしてはいけないと思っているのだが、残り少ない大切な歯が、全て抜け落ちてしまったような、がっくり感が半端無い。