22日間の悪夢

「虎次郎」に対する行為の是非、後悔、苦渋・・・その全てを内に秘めて、決してそれを面には出してはならないと、永年宿命付けられた私の立場をこれほど恨みに思ったことはない。
 そして、何よりも、他の犬たちの抗体/ 抗原検査の結果を固唾をのんで待たなければならないその間の心境は、身内の誰もが、この話題には触れないような気遣いをする余り、まともに会話が成り立たないほどの日々が続いた。
 しかし、その結果も待たず、お客様に対し、いち早く情報を公開するべきであるとの判断から、「虎次郎」の件も含めHPその他で現状を明らかにした。
 
 予想に反して4日目の夕刻、早々と検査結果が電話でもたらされた。早急に結果を知らせねばならないという獣医師の気遣いに頭の下がる思いがした。
 電話の内容は
 「とても残念ですが・・・」
 ここまで聞いて、そこから先の話は聞きたくないと、耳をふさぎたくなった。
 「桜ちゃんに陽性反応が出てしまいました。レイちゃん、雪ちゃん、珀ちゃん、それにフェレットも陰性です。桜ちゃんの今後については来週じっくりと相談しましょう。それまでは桜ちゃんに抗生剤の投与をスタートしてください。」
 しばらくの間、身体中から力が抜け、頭の中が真っ白になってしまった。
 その場にいた身内の3名は、当然のことながら電話の相手先を察知し、電話に対応している私を祈るような眼で見据えていて、電話を切った後の私の言葉に息をこらしていた。
 一呼吸、二呼吸しなければ口が開けないくらい頭は混乱していたが、自身に言い聞かせるように一言、一言、この事実を全員に伝えた。それぞれが複雑な表情で、しばらく固まったままになってしまったが、ほどなく、すべての結果が出たことで、これからは冷静に具体的な対策が考えられることになったため、これまでの重苦しい雰囲気から解放された安ど感が伝わってきた。
 
 まずは「桜」をどうするのか。「虎次郎」と違って表面的にはいつもの「桜」の様子と何ら変わりない。従って、そんな「桜」をも淘汰しなければならないなどという結論になりようがない。何とか感染症のキャリアとして他に影響、被害を与えない環境で天寿を全うさせることが出来ないか。
 そんな考えを思い巡らせていると、しばらくして動物愛護の権化のようなOさんの顔が思い浮かんだ。Oさんなら事情を話せば「桜」の面倒を見てくれるのではないか。
 早速Oさんに連絡をしたところ、二つ返事で引き受けてくれることが決まった。
 「桜」の新たな飼い主であるOさんの住環境は、広大な自然に囲まれた山村で、他への影響も最小限に留めることが出来る。「桜」にとってこれまでより以上にのびのびと暮らし、Oさんに思いっきり甘える事もできるだろう。
 住むところと飼い主が変わったとしても、あくまでも「桜」は100CLUBのスタッフ犬で、これからも、これまで通り生馬肉を送り続け、食いしん坊の「桜」を満足させてやろうと思う。
 また、獣医師のアドバイスを受け、40日間抗生剤を投与し、その後、もう一度抗体検査をし、どこまでブルセラ菌を抑え込むことができるか、アメリカの症例しかないので結果は予測しがたいのだが、少しでも可能性のあることには手を尽くしてみようと思っている。
 
 このたびの件について、その経緯と現段階での総括は次の通りである。

5月2日  「虎次郎」、結膜炎状の疾病発症、アイライン、鼻頭に色素欠乏傾向。
5月3日  眼科診察。診断は「フォクト=小柳=原田様疾患」という、とりわけ秋田犬の虎毛やハスキー犬に多く見られる遺伝病である。
すぐに治療を開始しなければ緑内障、網膜はく離を引き起こし失明に至るとのことで、即日ステロイド剤を中心とした点滴治療を開始。
このとき、念のためという事で抗体/抗原検査に出す事を知らされる。
5月4日  ステロイドの点滴治療を行なう。昨日に比べ病状は回復に向っている。
5月5日  ステロイド剤の点滴治療の最終日。白目の充血はだいぶ取れ瞳の曇りも取れたため眼底も観察できるようになった。
この日以後、ステロイド剤、抗生剤、胃薬の投与開始。
5月12日  再診。眼の状態はほとんど埴輪の目のようになっていた。
検査の結果は「ブルセ・カニス」に陽性反応が出た。320倍。
「ブルセラ・カニス」カニスとは犬の事で、つまり犬のブルセラ症ということで、この疾病は人畜共通感染症であり、感染力は弱いながらも濃密な接触により稀なヒトへの感染例がある。抗生剤を恒久的に投与する事以外治療法は確立されていない。まだワクチンもなく感染経路の特定も困難との診断。
「虎次郎」は、二つの不治の疾病を背負うことで、今後、ステロイド剤、抗がん剤、抗生剤、を大量にかつ恒久的に服用することが必要であるという結論がでた。治らない事がわかっていながらのこの治療は、その副作用の過酷さにおいては想像を絶するものだ。
5月18日  この結果を受け、5日間に亘り、最善の行動の模索、動物学者、獣医師、保健所、動物愛護センター等に意見を求める。
結論は「虎次郎」の淘汰。他の犬たちの抗体/抗原検査の実施。
5月21日  HP、その他で事態の現状を公開。
5月同日  残り4頭、及びフェレットの検査結果により、残念ながら「桜」1頭に陽性反応が出てしまった。即座にこの結果も公表。
5月24日  「桜」を群馬県の知人宅へ飼育委託する。飼育法は従来通り生馬肉食の継続、そして実験的に40日間の抗生剤の投与を開始。

次に、現段階での総括について、


    1. 全ての行動の判断基準は、100CLUBのお客様の安全を第一義であると捉えたことであるが、本件が結果として商品の安全性には関わらなかったことが、医学的観点からほぼ確実に認定できた事。
    2. 「虎次郎」の淘汰については、第一義の観点からも無念ながらも決断の止む無きに至ったことは多くの識者、獣医師の方々からの支持も受け、100CLUBの理念に照らしても合理的な行為である。ここでは一切の感傷は切り捨てるのみであるが、一言だけ言うならば、私にしかわからない「虎次郎」の尊厳を守ったことである。
    3. 「桜」はブルセラ症のキャリアではあるが、他への影響を一切及ぼさない環境での観察飼育を行なう。同時に「ブルセラ・カニス」の撲滅の一助となることを目途として、抗生剤による殺菌の効果を実験する。
    4. 今後、100CLUBは、これまでより以上の商品の安全性の確保を目差し、作業場と犬舎の完全分離を実行する。
    5. 100CLUBは、このたびの体験を教訓とし、肥大化したペット社会の病根にくさびを打つべく、あらゆる機会を通じて「ブルセラ・カニス」撲滅のための情報発信を行うと同時に、これまで同様ヒトと犬や猫たちのあるべき関係についての提言も続ける。

                                以上


 これからも、やらねばならいことは限りなくある。
 とても言い尽くせるものでもないが、例えば「桜」の観察飼育も、「ブルセラ・カニス」の臨床例として貴重な情報になるはずだ。

 
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