鬼のイヌ間

年に一度か二度、カリフォルニアのバークリーに住まわれているNさんがショップに見える。
愛犬の皮膚疾患を憂い、ご自分も円形脱毛症になってしまったほどの愛犬家で、最初のきっかけは、ご実家に帰郷した際、やはり犬好きの友人から100CLUBの生馬肉食のことを知り訪ねて来られたのだ。
お話を伺ったところ、生馬肉食にすることで疾病の改善は図れるとしても、まさかアメリカまで生馬肉を持っていくわけにはいかない。当時アメリカから輸入していた100CLUBの馬肉が、アメリカでは容易に入手出来ないという事情もあって、入手可能で安全な食肉についてあれこれ一緒に考えたうえ生肉食を実践することになった。
そのNさんが、すっかり疾患が改善した愛犬のコーギーをアメリカから連れてこられたときには驚いた。

カリフォルニアのバークリーといえば、以前、本コラムの「小さな巨人」に書いた通り、私にとっても多少の縁がある所だが、1960年代に巻き起こったカウンターカルチャー(反体制運動)発祥の地として、私などの年代の者にとっては聖地ともさえ言える。
1960年代のアメリカは、ベトナム戦争(1959~75年)、ケネディ大統領の暗殺、黒人開放運動など、暗澹たる社会背景をもっていた。
そのような時代に閉塞感をもった若者、とりわけカリフォルニア大のバークリー校の学生を中心に起こったカウンターカルチャーのムーブメントは、世界を席巻することになった。
当然のことながら、日本にもそのムーブメントは伝播し、日米安保条約反対を始めとする学生運動は、アメリカとは違い、それほど切実な社会背景をもっているわけではなかったにもかかわらず、かなり激烈な反体制運動を巻き起こすことになった。
しかしながら、掲げられた「LOVE & PEACE」という理想はことごとく打ち砕かれ、それが幻想に過ぎなかったことを思い知らされるような結果を、様ざまに見せ付けられることになった。

先日、Nさんがショップに見えられた折、余りに嬉しくなって、夕食にお誘いしたのだが、その際、上記のような昔話を始めてしまったところ、
「わたしの歳、いくつに見えますか?」
と大笑いされてしまった。おそらく相当気を悪くされたのではないかと思っている。
60年代には、まだ生まれてもいなかったNさんに向かって、バークリーにお住まいだということだけで舞い上がり、およそ場違いな昔話をしてしまうとは、私の頭も相当ヤキが回ってきたようだ。

Nさんには謝るほか無いのだが、その時、私がNさんの前で言いたかったことは次のようなことだった。

60年代、理想らしきものの実現に燃えていた若造の行動が、ことごとく体制の権力に蹴散らかされた。そして、その敗北感を背負い続けながらも、高度成長経済の只中を突っ走ったあげく、汚れに汚れ、ボロボロに疲れ果て老いさらばえた。
そんな自分であっても、これから先、何がしか人の役に立つことでもあるのだろうか、と考えた末、人の役には立たないまでも、せめて犬の役には立てるのではないかと思い、本業の片手間に始めた100CLUBが、いつの間にか本業(とはいっても生業として成立しているのかどうか……)になってしまった。
もともと商売になるなんて思ってもいなかったのだから、どこか営利を貪欲に追求する気分にもなれず、いい歳をしながら、未だに青臭い「あるべき論」を本気で喋り続けている。
ところが、ふと気が付いてみると、Nさんのような素敵な方々と知り合うことになって、何か、60年代の自分が甦ったような気分になっている。
どうしてこんなことになってしまったのだろうか。

私は毎日、スタッフ犬に囲まれて仕事をしている。そして私と、Nさんやお客様とのお付き合いの間にも必ず犬や猫たちがいる。何時間も、時には夜を徹してでも犬の話しばかりしている。
つまり、お付き合いの媒体として常に犬か猫が存在するのである。
この十年近く、私の場合そんな毎日なのだ。

0712161

 誰でも、人間の中には「神」や「仏」が住んでいるが、同時に「鬼」も住んでいる。
ところが、犬や猫たちには「鬼」が住んでいない。「鬼」のいない犬や猫たちを間にして、お互い話をしているのだから、「神」や「仏」の心、つまり善性だけをもってお付き合いが出来るということになる。
清水寺の坊さんが書く今年の一文字が「偽」というようなことになる時代にあって、私のようなノー天気な毎日を過ごしていられるのは、まさしく犬や猫たちのおかげだと思っている。
犬や猫たちと暮らしている人たちは、「愛」という、人間の最も美しい精神に満たされている。
人と人、男と女の付き合いの中には、いずれ漏れなく「鬼」が現れることになるのだろうが、人と犬や猫たちの間には、「鬼」の出る隙間もない。

バークリーの光を纏ったように清々しくも美しいNさんのような人にも、もしや「鬼」が潜んでいるのだろうか。

そんなことは口が裂けても言えないことだが、来年、お会いした時調子に乗って、またこんなことを言えば、今度こそ本気でNさんに怒られてしまうに違いない。

 
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