道楽仲間が逝ってしまった

相変わらずジャズばかり聞いていて、ふと気付いたことがある。
毎日聞いているプレイヤーは、ほとんど生存している人がいない、という、当たり前と言えば当たり前の話かも知れないが、そんなこと考えてもみなかったので気付いてから少し感傷に浸る気分でジャズを聴くことになった。

そんな気持ちになったのも、畏友のOさんが急逝されたタイミングだったせいかも知れない。
Oさんは60年来、シェパードを飼い続けた方で「レイ」を育てることになったのもOさんからの要請によるものだった。
Oさんはシェパードのほかに、盆栽の世界でも知られた人だった。また写真もハイアマチュアのレベルで、毎年グループの写真展を開いていた。

それぞれの世界で、いわゆる数寄者といえるレベルの道楽加減で、それはOさんの本業から考えればちょうどいい塩梅の入れ込み具合だったと思う。
このへんが、私のような馬鹿と比べると先輩の方が遥かに大人だったからなのだが、それでも好きな道の話になるとまるで子供のようになってしまう。

私は常々思っていることがある。人間、いくつになっても子供心を無くしてしまったら面白くも何ともない人生を送ることになってしまうのではないか。
還暦でも過ぎれば、いわば本卦還りということで、体中にこびりついてしまった錆をすっかり落として生まれ変わった方が良い。
生まれ変わるということは、これまでと全く違う価値観を身につけることともいえる。

このことは、それほど難しいこととは思えない。
夢中になれる道楽をひとつ見つければいい。道楽という言い方はもしかすると死語になっているかも知れないので、言い換えるならば趣味というだろうか。あるいはライフワークという言い方もあるのだろう。
とにかく単純に大好きなことに夢中になればいいのだ。誰に何と言われても、そんな雑音にはとらわれる必要など全くない。

今日はダービーだが、ギャンブルは趣味や道楽などではない。いうならば人生を賭けに晒すのであって、この道にはまったら薬物と同じで、確実に身を滅ぼす。
私は全くギャンブルをやらない。ギャンブルをやらなくも四六時中ドーパミンが出っぱなしで充実した時間を過ごすことができている。
それは二つの理由による。
その一つは仕事。二つ目は有り余るほどの道楽の多さなのである。