猫キチ、ジャズキチの村上春樹

私の座右の書の中に、村上春樹の「ポートレイト・イン・ジャズ」と「意味がなければスイングはない」がある。
今、村上春樹の新刊「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」が発売した途端に100万部を突破したという。
私はいわゆるハルキストではないので、小説は読んだ事がない。

村上春樹はジャズキチと猫キチが嵩じて「ピーター・キャット」というジャズ喫茶を経営していたことがある。
音楽にしても美術にしても、評論家といわれる人たちが論じるのと違い、小説家が自分の思いのもとに語りあげるのでは、まったく趣が違う。
絵画を「気まぐれ美術館」で語りつくした洲之内徹も小説家であり、村上春樹も同様だ。
その特長は、対象を客観的に評価するのではなく、あくまでも対象と自分との個人的な関係を基にして、愛とか人生とか、そこに湧き上がる感情だったり、好きだ嫌いだという理由、そんなことはどうでもいいじゃないかと思われるところまで豊富な語彙を用いて書いていく。
したがって、多分に偏向しているところもあるのだが、そこのところが面白いし共感するところなのだと思う。

犬や猫との付き合いからも、愛や人生について語り尽せないほどの物語が誰にでもある。