犬や猫たちと暮らす意義

犬は群れの動物であるが人間のペットとなったことで、それぞれの家庭に縁付いて人と共に暮らすことになる。
犬から見れば群れの動物の習性から、人も犬の仲間として捉えているに違いない。
最初の段階では、人は犬をペットとして捉えている方が大半だと思うが、暮らし始めてみると、気付かない内にペットということでは収まりきれない、そうかといって人同士ではそうそう体験のない、ただならぬ深い絆を感じるようになってくるのではないだろうか。

それは、本質的には私たちとさほど変わらない哺乳動物が、同じ現代に生きていながら、私たち人間が抱え込んでいる苦悩やストレスなどまったく意に介さない素振りで、ひたすら私たちに甘え、一緒に遊びたがり、食べ物をねだりまくる。
人と人の関係ではありえない、そこには犬や猫という動物としてのあっけらかんとした天然の姿が存在する。
そこには、とうの昔に私たち人間が忘れてしまった、とても大事な要素だけで成り立っている同じ哺乳動物がいて、しかも生活を共にしているのだ。

現代社会は、そもそもお金は手段だったものが目的と化してしまい、拝金主義とか超金融資本主義、効率主義といわれる時代、人間として最も重要な価値を見失ってしまったのではないかと思える病理的社会が現出してしまった。
社会の病理は当然のことながら個人をも蝕むことになり、精神的な崩壊が起こることになる。個人の崩壊は個人に留まることのみならず、家庭の崩壊、学級崩壊、いじめ社会等々、日々メディアから流れるニュースを見聞きしていると、とても健全とは言い難い社会の様相が照らし出されている。

私たちは、そのような社会から個人として抜け出しようはないのだが、少なくとも人と違う動物である犬や猫たちと共に生活している人たちは、人として、そして動物としての普遍性を取り戻す機会と可能性を十分に秘めているような気がしてならない。
長年、100CLUBを続けてきて感じるのは、もしかすると、犬や猫たちの存在があってこそ現代社会の病理が改善されるのではないだろうかとすら思えてきた。