歴史の中の犬めぐり旅を始める

ひとつのエピソードを引用する。

ドイツで、ユダヤ人戦争捕虜となって森林作業班に入れられたエマニュエル・レヴィナス(哲学者)は、そのあまりの過酷な環境の渦中、「看守はおろか、通りすがりの人々にとっても、自分はもはや人間に属していないのだ」と悟った。
ところが一匹の迷い犬がやってきて仲間に加わったという。
疑いの余地なく「この犬にとって、われわれは人間であった」のだった。

この話のように、犬は人間をひたすら信頼し親しみを寄せる、おそらく唯一の動物である。
一頭でも、また二頭であっても、その犬たちほど、私を信用している私以外の人間も動物もいない。言い方を変えれば、あなたの飼い犬ほどあなたに対し無垢な信頼を寄せている人間も動物もいないということになるのだが、つまり犬という動物は人間にとって疑いもなく己を信用してくれる唯一の存在なのである。

人と犬との付き合いの始まりは、およそ3万年前くらいと言われている。
そして、人と犬との物語が言葉で表された最初が、先日このブログに書いたホメーロスの「オデュッセイア(ユリシーズ)」で、紀元前8世紀なのだから、それ以来現代にいたるまで3000年近くも、人間と犬との物語は様々な人たちによって連綿と紡がれ続けてきた。
それは言葉だけでなく、絵画や宗教の成立要素としての役割まで担ってきた。

私自身、もの心がついて以来、犬のいなかった生活の体験はないのだが、何でそれほど犬に魅かれるのか、その理由について深く考えたことはなかった。
犬の飼育に熱中してきた体験上、どうすれば犬を健康に育てられるのか、ということだけは誰にも負けない自負を持っている。しかし、犬と自分との関わりの根本的理由について考えることは自己を分析することと同じことになるのだろうから、むしろ目を背けていたいところでもある。

このところ、そのようなことで悶々としていたところ、いっそのこと数多な先人の犬との物語を読み漁り、ここに披瀝し雑感なりを書き綴っていくことで、どうして人間は犬を飼うのだろうか、という答えがおのずと導き出されるのではないかという思いに至った。

 
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