本質は野生にこそ存在する
夜中、どうしても寝付かれなくて、なんとなくぼんやりTVをみていたら、その際放映されていたドキュメンタリー番組を見て驚いてしまった。
NHKのNEXTとかいう番組だったと思う。
以下はその受け売り話になるし、またこの番組を見た方も大勢いらっしゃると思うのだが、余りに感動的だったのでここに書き留めておこうと思った。
ディズニーランドの4倍くらいの面積をもつ北海道の牧場で、完全放牧を実践する女性の牛飼いの話だ。
その広さに40頭前後の頭数を飼育している。
完全放牧とは牛を野生に戻すといって言い過ぎでも何ともない。
出産子育ても自由。餌やりもせず、牧場内に自生する様々な草を勝手に食べている。雪深い冬もほったらかし。
つまり生まれてから、出荷するまで野生そのものの環境で育てているのだから飼育していると言っていいのかどうか分からない。
そのような環境に育つ牛たちは、普段、畜舎で濃厚飼料を与えられて育った、まともに歩けないような鈍くさい牛ではなく、その行動は、体型こそ違うものの野生の鹿と見まごうほどだ。角を突き合わせて遊んだり、駆け回っている牛が、本当に幸せそうに見えて仕方なかった。
それにしても、北海道の牛飼いの女性は腹が据わっている。
こんなくそ度胸をもった人間などそうはいない。こんなやり方で採算が取れるのかどうか分からないが、ある時、どうしても出荷を急がなければならないことがあり、一時的に畜舎に一頭の牛を入れ、濃厚飼料での肥育を試みた。
結果、その一頭の牛は体調を崩し、餌の食いも止まってしまった。そこで出荷をあきらめ牛を畜舎から出し仲間のところに解放してあげた。
その喜びようといったら半端じゃなかった。
ところで、このようにして野生で育った肝心の肉の味はどうなんだということになるが、当然霜降り肉などできるはずもなく、赤身の硬い肉質になる。
番組の中でプロがステーキを焼いて、野生肉パーティーが始まった。ちょっと鹿の肉の味に似ているという話も出ていたが、体験のないほど感動的な味がすると異句同音に言っていた。よだれが出そうになったが今の私では歯が立たない。
畜産もそうなのだが、近代化というのは、ものの本質からどんどん離れていってしまい、それどころか、ほとんど本質を見失ってしまっていると思える。
例えば、この話のような野生牛であれば、犬や猫たちの食餌にわざわざ馬肉を選ぶ理由も絶対的なものではなくなるのだ。本来の牛肉であれば問題ないと思うのだが、それを望むことは最早あり得ない時代になってしまった。
犬も猫たちも、出来るだけ野生的に育ててあげたいと私は思っている。
せめて食餌くらいは本来の食べ物を与えてあげたい。
ところが、そのような本来の食材を探すことすら、それほど簡単なことではないということを、実は今現在、いやというほど思い知らされている
のだ。