時代で変わるものと変わらないもの

時代の変遷を反映して、大衆音楽もあだ花のように咲いては散っていく。

昨夜まで、一週間も続けて藤圭子のCDを聞いている。
頭がおかしくなってしまったのではないかと家族も訝しく感じているのかもしれないが、何も言わないので調子に乗って繰り返し聞きまくっている。

ジャズとクラシックのCDで満杯のところに、何故、藤圭子のCDを持っているのか、自分でも不思議でならない。
そのCDを、ふた月ほど前、演歌好きの知り合いに貸したばかりだった。
今回の事件でお互いに顔を見合わせてしまった。

フランスのレジスタンスのシンボルだったジュリエット・グレコと日米安保条約反対運動の只中に、グレコを髣髴とさせる藤圭子の登場は、混沌とした時代の闇を一身に背負うかのごとき存在だった。
地獄の底から搾り出すかのような恨み節は、今の時代には似合わないだろう。
今どきは、ゆるきゃら全盛で、旬はきゃりーぱみゅぱみゅだろうけれど、世の中は一寸先は闇なのであって、いつ何時、藤圭子のような恨み節が流行ることになるか分かったものじゃない。

犬や猫たちの飼われ方も時代とともに大きく変化した。
それでも適正な食餌は変わりようがない。

 
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