夢が叶った

 畏友のO氏からビッグニュースが飛び込んできた。
 O氏は少年時代からの犬好きで生涯シェパード一筋で50年を過ごされてきた方で、訓練競技よりもショー大会を楽しむ愛犬家である。
 そして、どうすればチャンピオン犬をつくれるか? 運動管理は? 食餌は? と散々悩み続け、ある時はドイツに人まで送って調べさせたこともある位の情熱をシェパードに傾注してきたかただ。
 
 その甲斐あって、O氏の現在の愛犬「チャンプ号」が、2009年12月、JSV(日本シェパード犬登録協会)PD(日本警察犬協会)共同主催のオールジャパン・グランドビクター展に5ヶ月でデビューし、いきなり第一席プリンスに輝いた。以来、日本チャンピオン展を含む本部展地方展で目下8連勝中なのだという。そして今年7月、生後12ヶ月若犬クラスに突入した、ということがメールで知らされたのである。
 シェパード犬のショー部門で最も権威のある大会でのこの成績は、O氏にとっても初めての成果であり、その喜びは如何ばかりのものであるか想像に難くない。

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 O氏との出逢いは5年前にさかのぼる。
 その日、私は自宅で休んでいいたところ、事務所から電話があって、どうしても私に会いたいという方がお待ちになっているので至急来てくれないか、ということだった。
 お会いしてみたところ、O氏は憶えていないだろうと思うのだが、私はO氏の事をよく知っており、お会いしたこともあった。
 お話しの内容は、シェパードを生馬肉食で育ててみたいがどうだろうか、ということだったので、無論私の答えは最適です、ということになり、そこからO氏のシェパードに対する新たな食餌管理が始まったのだ。
 「アマチュア愛犬家に一番嬉しい事は、犬が朝夕の食事をしっかり食べてくれること。快便で毛艶も良く犬がハツラツとしていること。それは食餌そして馬生肉に優るものはない。」
 と、いつもO氏は語っている。
 
 そして、ついに達成した若犬クラスでの「チャンピオン号」のこれまでの成績は、成犬になってからのこれからの大会での栄光の座が約束されたようなものだ。
 O氏の場合、犬という生命と向き合う一つの典型であり、良き犬を作ることに全身全霊をかけていることに対する敬意と、このたびの栄光に賛辞を惜しむものではない。
 
 また、畏友のO氏はスタッフ犬「レイ」を私にプレゼントしてくれた方でもある。
 プレゼントして頂いた理由は、やはり生馬肉食での成果を見極めてみたいと思われたのだろうと思う。
 しかし私は、ショーに出すことについては消極的で、その意味ではO氏に相済まないと言う負い目を持ち続けている。
 自由気ままに、甘え放題甘えてそだってきた「レイ」は、それでも私にとってだけの日本一のシェパード犬で、O氏への感謝は片時も忘れられるものではない。
 
 ところで、このようないきさつからすると、私は「レイ」の里親ということになるのだろうか。そうだとすれば「レイ」は里子ということになり、O氏はどういう立場になるのだろうか。
 そんなことはどうでもいいとは思いながら、従来、私は「里親」という言葉に違和感を持っていて、ちょっと調べてみようと思ってインターネットを見ていたら「シドさんの里親のホームページ」に出会った。
 それは、私にとって少なからず衝撃的な内容であり、違和感の正体が明確になった。
 以下は、「シドさんの里親のホームページからの抜粋である。


児童福祉法第27条3に、里親とは「保護者のない児童又は保護者に監護させることが不適当であると認められる児童を養育することを希望する者であって、都道府県知事が適当と認める者をいう。」とあります。
 
さて、世の中には、この里親制度があまり知られていないこともあり、ペットの飼い主を「里親」、ペットを「里子」と呼ぶ方たちがいます。「○○ペット里親会」「犬の里親募集」「猫の里親募集」などと、ホームページに案内を載せる方々がいます。さらに、公共機関で「動物の里親制度」や「公園の里親」「道路の里親」と称して、飼い主や管理ボランティアを募集する例もあります。これを受けて、新聞やテレビなどのマスコミも、動物の新しい飼い主を「里親」と呼ぶことに抵抗がありません。
これら、「里親」「里子」の誤使用は膨大な数となり、「里親」といえば、ペットの飼い主のことだと誤解する方も少なくありません。
里親家庭で暮らす子どもたちが、ホームページや広報で、「ペットの里親募集」という言葉を見たとき、どんな気持ちになるでしょうか。「自分はペットと同じように、この家にもらわれて来たのだろうか」「自分はペットと同じなのだろうか」などと、いろいろ考えます。
実親との別離という傷を抱えながら、それを受け容れ、懸命に生きている子どもたちにとり、「ペットの里親」「公共施設の里親」などいう言葉は、あまりに無神経であり、傷口に塩をすり込まれた気持ちになるのではないでしょうか。人間を「1匹、2匹」と数えないように、動物を「1人、2人」と数えないように、人間にだけ使う言葉というものが歴然と存在します。「里親」「里子」という言葉を人間以外のものに使うことは、里親とその家庭で暮らす子どもたちの、人間としての尊厳を傷つけるものです。どうか、里親家庭で暮らす子どもの尊厳を守るためにも、人間以外のものに「里親」「里子」を使うことをお控えください。
なお、動物愛護を否定しているわけでは決してありません。我が家にも、拾ってきた猫がいました。23年もの間大切に育て、2008年の夏、寿命を全うしました。子どもたちはペットを大変可愛がっていましたので、その死を嘆き悲しみ、今も写真を大切に飾っています。どうか、動物愛護に反対しての言動と誤解なきようお願い致します。

 一部の犬猫好きが、過激なまでに犬・猫を擬人化し、病理的なヒロイズムに陥ってしまったのではないかと思われる昨今の現象は、犬や猫に慈愛を持つその前に、人としてどうなんだ、ということの基本を外してはならないのではないかと思う。

 
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