フェイクとピュア

さまざまな分野において、本物、プロフェッショナル、スペシャリストと評価される少数の人たちと、フェイク、成りすましと評価される人たちがいると思うのだが、IT社会になったことで後者に属すると思われる人たちが多数になって、容易にその見分けがつかなくなってきた時代のような気がする。

先日、スコティッシュ・テリアのブリーダーさんをお客様に紹介したのだが、よくよく考えてみれば、私もそのブリーダーさんには会ったことがなく、ネットで調べ、また電話やメールのやり取りをしただけなのだから、とても紹介したなどとはおこがましい話なのかも知れない。
しかし、ネット上に出ている情報、そして直接お話をしたりメールの交換をしたことで、そのブリーダーさんがどれほどのスペシャリストであり、なお優れた人物なのかということは十分窺い知ることができる。

それは自分自身がブリーダーの端くれとして、また長く犬や猫とに関わり続けたキャリアからくる直感でもある。ただ、その直感を説明しろと言われても、説明できなくはないと思うのだが、それはとんでもなく面倒な話になってしまう。

フェイクとピュアの差については、全く別次元ともいえるほどの差があると思う。そこのところを説明し難いところが問題で、特にピュアな人に共通する、ある種、狂気とも思えるストイックなところは、そうでない人に理解を求めても、それは端から無理な話のような気がする。
この点においては、人と人の付き合いにでも、シンクロする人としない人とはどこかが違っていて、したがって誰とでもいい付き合いができるかどうかというとそれは容易ではない。

いづれにしても、このたびお会いすることになったブリーダーさんは、ブリーダーとしてきわめてピュアな方で、そのような方が骨身を削るような思いで作り出した仔犬は実に健全な優れた仔犬であり、今後のケアも含めて、その仔犬と出会った飼い主さんはこれから飼養する期間、何の問題も起きない至福な暮らしが約束できたのではないかと考えている。
加えて言うならば、その飼い主さんも、その世界においてとてもピュアな優れものだと思っている。

 
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