いぬものがたり

 私の自転車通勤は、家からショップまでが片道15分位で、帰りは10分位で家にたどり着く。つまり前半は上り道で、帰りは下り坂が多いということになる。
 そのような行程のショップ側に近い、いわば峠にあたる曲がり角の邸宅にサルーキが2頭、飼養されていることは以前から知っていた。
 サルーキという犬種は、紀元前7千年もの昔、シュメール人が壁画や彫刻に描いている伝説の犬といわれている。別名をエル・ホー「高貴なるもの」とも呼ばれる。
 この、アラーの神の贈り物といわれている砂漠の犬サルーキほど様々な神話や伝説に彩られている犬も珍しいし、事実、素晴らしい犬種だ。
 私が100CLUBを始めたとき、スタッフ犬の候補としてサルーキも頭にあったのだが、飼育環境を考えた末、諦めた経緯もある。

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 先日、ショップに母子連れと思われる初めてのお客様が見えられた。
 たまたま私が接客することになったのだが、お話を伺うと、愛犬の食物アレルギーについて動物病院の先生に相談したところ生肉食を薦められ、家の近くに生馬肉の店がある事を知っており、偶然その先生も同じ店で愛犬に生馬肉を購入しているという話を聞いたので訪れた、というのである。
 以前だったら、動物病院が100CLUBを紹介することなどめったにあることではなく、むしろ、生馬肉など止めた方がいいという獣医師さんがほとんどだったのだが、最近は獣医さんから紹介されたというお客様が増えつつあることは事実である。
 以前から、獣医師は患畜を治療するのが仕事なのに、何故一生懸命ドッグフードを売っているのか、その理由は分かりすぎるくらい分かっているのだが、いまどきの獣医師としてはあまりにも格好が悪い。このような時代にあって、商魂たくましい獣医なんて、見え透いたやり口は時代錯誤のように感じる。
 
 私は、お二人に、生馬肉食が犬たちにとって最良の食であることの理由と、問題の症状が治るかもしれない、そのまた理由を懸命にお話した。
 そして、私の話が終わったころ、今度はお客様側からの様々な犬ものがたりが語られることになったのだが、その一言一句に驚き、また感銘を受けることになった。
 お二人のお住まいは、何と、私が通勤で一日おきに必ず通る2頭のサルーキをお養いになっている、私が峠と称する角の邸宅のYさんだった。
 Yさんから、サルーキを養うことになったいきさつ、エピソードを伺い、また数日後、お嬢様がサルーキクラブの冊子に寄稿された文章を読ませて頂いた。
 
 犬や猫たちを養っている方々には、それぞれに、それぞれの出逢いのものがたりがあって、また、一緒に暮らすようになると、その生活の日々、その一部始終が、汲めども尽くせないほどにものがたられる。
 そして、そのものがたりは例外なく純粋で無垢な愛情に満ち溢れている。
 人と人との間では、現実としては起こりえない得ないであろうピュアな感情が、ごく自然に発現される。
 
 私たち人間の、もはや救いがたいとも思われる、醜悪で強欲な所業によって、世界的に社会システムの崩壊現象が具現化している。この日本においても、およそ20年くらい前に緩み始めたタガが、もはや完全に外れてしまって、その修正は不能となってしまったとしか思えない現象が様々な分野で噴出している。
 このような事態が、私たち人間が進化した姿なのだとしたら、そしてその修正が成立しないとしたら、地球の崩壊は自明となってしまうだろう。
 しかし、これほどどうしようもない人間の精神の内部にも、私たちが犬や猫たちに示す無償の愛情表現には、哺乳動物が共有する特有の能力があるのかもしれない。
 もしそうだとすれば、その普遍的能力が人間社会において人間どうしの関係に発揮せられるならば、おそらく地球の崩壊を食い止めることが可能なのではないか。
 
 そんな妄想すら想起させるほどに、犬好きの犬ものがたりは、そうでない人から見れば馬鹿じゃないのかと思われるかもしれないほど、手放しで、デレデレで何処までいっても終わることがない幸福感で一杯なのだ。
 以前、ディスクドッグの「The N.P.A」の村上さん夫妻と忘年会をやった時、2次会にカラオケに行くことになった。
 そして、夜中から明け方まで、歌を歌うものなど誰もなく、犬の話の明け暮れたことがある。

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 10年前のクリスマスイブが初めての出逢いだったという。
 最初は大型犬を室内で養うことに消極的だったYさんのお母様は、はブリーダーさんのところで生まれて間もない仔犬を見た瞬間、「私が生んだ子みたいだ!」という言葉が自然と口をついてでたそうだ。
 そういう先鋭的な直感は、男などには持ち得ない感性だと思うのだが、そういうことで、年が明けてからYさん宅には、ブリーダーさんから仔犬が届けられ今を迎えている。その6年後、更にその仔犬も家族となって、2頭のサルーキが家族に加わったのだ。
 最近では私も、ショップで仕事をしながら、そのサルーキたちが来ないかと心待ちにしている。私は家族の一員にはなれないにしても、お客様の犬たちから見て、せめて親戚のおじさん位の認めかたはして欲しいと願っている。

 
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