肉食の免罪符

このたびの、鹿肉と猪肉の缶詰発売に際して、ホームページのトップに「…天恵の食」という時代がかったキザな言い回しを意図的に使った。
その訳は次に示す事実による。

先日、鹿缶と猪缶を受け取りに群馬の工場へ行った際、工場の壁にかけられた額をみて驚いた。
それは、諏訪大社から発布されている「諏訪の勘文」(諏訪のはらえ)というもので、次の通りの内容が記されていた。

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これは諏訪大社が狩猟の神でもあるところから、仏教の教えが肉食を禁じていた時代に、「鹿食免」(かじきめん)というお札を発布し、いわば肉食に対し神が免罪符を与えていたのである。
このことを理由として、諏訪大社は全国に1万社ともいわれるほど、分社、分霊が広まったという説もある。

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人は、あらゆる世界の生命を殺生することで糧を得て己の生命を生かしている。
その殺生という行為に、何がしかの免罪符を持たなければやってはいられないほど、人間の精神はそれほど頑強に出来てはいないのだろう。

つまり私たちは、いちいち理由を付けなければ存在の意味を失いかねない危ういタイト・ロープを渡っていて、あらゆる価値が相反するリアルな社会を生きている。
それが現代社会では、本来、二律背反というリアルであるべき世界に加えて、異次元の価値判断が紛れ込んでいて、「諏訪の勘文」どころでは安寧が得られないような面倒な世の中になってきたようだ。
こういう社会にとって、神も仏も芸術も何も必要ではなく、畏れというものをもたない人種が大増殖中だ。このところはもう元には戻らないのかもしれない。

このたび私も、諏訪大社の「鹿肉免」のお札を受け、「100ミート・しか缶」、「100ミート・いのしし缶」というオリジナル新商品の発売に至った。
ここに至るまで、実はいろんな因縁めいた話しがある。
それは私だけの想いかもしれないので、そのことを話してみても、それが一体どうしたというんだ、とお思いになる方がほとんどだと思う。
それでも自分の中では話さずにはいられないし、そのような想いがなければ、今度の新商品も生まれなかったことは間違いない。自分は単純なのだ。

昨年の3.11以来、私自身、私なりに東北という地域にこれまで以上の想い入れが弥が上にも増すことになった。
そんな折、今年の、木村伊兵衛賞(写真界の芥川賞といわれている)が、この5年間、東北をテーマとして撮影を続けた田附勝氏が選出された。
この一連の作品の中に、岩手県釜石の雪の山中で撃たれた鹿の、その血しぶきが白雪を染めている光景。恐らくその子どもの親が仕留めたのであろう鹿の内臓をわしづかみにしてカメラに差し向けている作品。年老いて風雪に晒され塩に焼けた皺を深く刻んだ漁師……
それらの作品から、私は、日頃忘れてしまっている自分が在るということの原風景を痛切に思い起こさせ思い切りバットで頭を殴られたくらいの衝撃を受けた。

また、’11年の8月20日のコラム「風立ちぬ」では、世田谷美術館の設計者が内井昭蔵さんで、その内井さんはロシア正教のニコライ堂で生まれ育ち、そのニコライ堂をモチーフとして多くの作品を描いた東北岩手の画家、松本俊介の事を書いたのだが、今、「生誕100年松本竣介展2012年11月23日~2013年1月14日」が世田谷美術館で企画開催されている。

そして、今度私の話を二つ返事で引き受け、急遽2種類の手作り缶詰めを製造してくれたO氏も、また岩手の人なのだ。
缶詰めが出来上がったという連絡を受け、早速群馬へ向った。
私としては、車に積み終わった缶詰めを持って、一刻も早くシールを巻いたり、ホームページでお知らせをしなければならないと、帰りを急いだのだが、O氏は一緒に出るから後をついてきてくれ、というので、仕方なくそれにしたがって30分ほどかけて山を下り住宅地に入ると一軒の家の庭に入った。
「折角来たんだから桜に会っていきゃいい」
O氏が玄関の鍵を開けようとすると、玄関の曇りガラス越しに、主人を迎えに出て来ようとする巨大な犬の尻尾を振り回している様子が伺える。
「桜だ!」
赤の秋田犬であることが分かった。3年ぶりだった。
玄関を開けると、「桜」はO氏に飛びついた。
その直後、私と家内に気が付くと、そこから「桜」の様子が突然変わった。
私と家内の間を何回も行き来し、臭いをかいで、何かを思い出そうとするような仕草をしていたが、まもなく、特に家内に対しては異様に甘えるそぶりをした。
O氏が
「ああっー。分かったんだなぁー。思い出したんだなぁー」
と、言ったと思うと、やおらビニール袋に入った猪の生肉の塊を食器に入れた。
急に「桜」は、猪肉以外は眼中にない様子で大きな肉塊にむしゃぶりついていた。

 
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