食への不信

モノやカネが生命よりも優先する、という不穏な時代にあって、ついに、主食の米までも、食用に適さない汚染米が、様々な「食」に用いられ蔓延するという、とんでもない事態が発覚した。
主食までもがこの有様で、またもや官業が一体となって消費者をあざむくという、いつもの図式が明らかになった。
このような病んだ社会の渦中、せめて健全に生命をまっとうするためには、いかにリスクの少ない「食」を選択せねばならないのか、真剣に考え直さねばならない。
「食」がこれほど危険にさらされている不幸の原因は、単に欲まみれの一業者によるものだけではない。われわれがその生命を託している国家社会を運営する政治、行政の体たらくには、憤りを通り越し、ただ呆然とするばかりだ。

私たち人間の「食」の安全性は、このたびの事態で、さほど当てにはならなくなったが、とりあえず国家の法律によって守られている。
ところが、犬や猫たちの「食」には何の法律も無い。
したがって、ペットフードはメーカーおよび販売者のやりたい放題で、そのモラル、良心を担保とするより手が無い。
しかし、そのメーカーが、どうしてもフードの食材、そして添加物の内容を明かそうともせず、ペットフードは食材を提供しているのではなく、栄養価を提供しているのだ、という言い訳に終始している現状なのだ。
瑞穂の国の主食である米の業者および行政の良心が、腐りきっている実態を知るにつけ、いや、ペットフード業界はそんなことはありませんよ、可愛いワンちゃんやニャンちゃんの食事は安全で総合栄養食ですから心配ないですよ、などという業者や獣医師の言葉など信用出来るはずが無い。

「食」にリスクは付きものである。
そのリスクを出来る限り少なくするためには、「食」に対する見識を高める努力が必要だ。
そのために、何よりも優先されなければならないのは、犬や猫たちが、ほ乳綱、ネコ目(食肉目)のイヌ科であり、ネコ科の動物であることを認識し、世界中の動物園が、このような動物たちの「食」に何を与えているのかを知ることであり、同じものを与えることが最も理に叶った「食」であることを肝に銘じなければならない。
もし、それと同じ「食」を否定する獣医師や業者がいるとすれば、それらの人たちは、国家行政と大手食品会社などの都合によって、食品廃棄物のリサイクルを目的として作られたペットフードの販売促進に協力しているのであって、愛犬、愛猫家の目線に立っていない。それらの人たちの薦めるペットフードは、「食」とも言えない劣悪な代物であり、患畜を増やして利を得ることを目的にしているのかと疑いたくなるのも当然だと思う。

080924_34331 先日、話題沸騰の「旭山動物園」の人気スポットNo.1が、「オオカミの森」だと聞いて嬉しくなってしまった。
「旭山動物園」のオオカミの森が人気No.1の理由は、エサの目線でオオカミが観察できるところにあるらしい。
因みに、「旭山動物園」でも「上野動物園」でも、ネコ目の動物達、すなわちオオカミの「食」も生馬肉食だ。
したがって、その食性が同じ犬や猫たちを健康に育てるために最も適した「食」が生馬肉であることは疑う余地が無い。

このコラムを書き終えようとしている今、またしても、昨年、アメリカで発生したペットフードのリコール問題の一因とされる化学物質メラミンが混入された粉ミルクで、中国で多くの乳児が死亡したというニュースが飛び込んできて、それが粉ミルクだけではなく、日本の大手食品会社が製造している商品各種にも使用されている事が発覚した。
ペットフードのインチキぶりが、とうとう人間の「食」にも飛び火してくるという、いやはや大変な時代になってきた。

 
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