犬や猫はしゃべらないから立派なのだ

ショップの本棚を整理していたら「犬語の話し方」(スタンレー・コレル)というタイトルの文庫本が出てきた。
随分前に買った本なのだが、いまいちタイトルが気に入らないので読んだことはなかったのだが、今日、1ページ目を開いて「はじめに」に目を通した途端に、これからちゃんと読んでみようと考えが変わった。

「はじめに」は、レオナルド・ダ・ヴィンチ「日記帳」の引用から始まる。

――――人間は能弁に語ることができるが、その内容は大半が空疎であり、いつわりである。動物はかぎられたことしか話せないが、内容はすべて真実であり、役に立つ。大きないつわりより、小さくとも真実なもののほうが好ましい。――――

その通りだ。
もし犬や猫が人間語をペラペラしゃべったとしたら、うるさくてたまらないだろう。
しゃべらないからこそ犬や猫と一緒に暮らすことに意義があるのだ。
ただ大事なことは、必要最小限の事を表現するし、人間語というか態度、感情を大方理解はするのだから、コミュニケーションはちゃんと成立する。
そのピュアな関係は、むしろ人間同士以上のものがあるのだと思う。

 
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