犬や猫たちの受難時代の始まり

少し前に、「犬や猫たちが人口を超えてしまうかも知れない」というブログを書いた。

それは、殺処分ゼロ運動によって保健所では生体の処分を断るようになってきたことで、これからは犬や猫の生体が激増することになるのではないかという危惧を持ったからだ。

保護犬や猫の運動も盛んなのだがそれにも限界があるだろうし、行政が大きなシェルターを全国各所に建設し、飼育放棄された犬や猫たちを収容し飼養するようなことをしなければ生体は溢れてしまうのではないかと思ったからだ。


そんなことを考えていた矢先、犬の大量遺棄事件が起こった。

売れ残ったペットショップの生体を、100万円とかで処分を引き受けた男が、本当かどうかわからないが、移動中に死んでしまったため、栃木や群馬の河辺や山中に大量に遺棄した事件が起きた。

このような惨禍は最近起こったことではなく、ペットビジネスの闇ともいえる生体を単なる商品と捉え、目を覆うばかりの残酷な扱いで、売れ残れば処分するという図式は以前からあったことなのだ。


そこに殺処分をゼロにするという理想のみが先行し、生体に対しそれを飼養する設備もないまま、NPO法人に丸投げするようなことでは、この方針は完結しないどころか、ますます今回のような事件が頻発するのではないかと危惧するものである。


悪質な繁殖業者、生体販売のペットショップの責任は重大であることは当然だ。この点においては法的に規制を強めなければならない。

しかし一方では、犬や猫を飼う側の責任として、15年前後、犬や猫たちを健康に育てあげる知識と経済的負担を賄えることができるのかどうか。ぬいぐるみやロボットとは全く違う、生命そのものに責任が持てるものかどうか等々、決して軽々しく考えてはならない覚悟と決断が必要なのだと思う。


犬や猫たちと暮らすことは素晴らしいことだと思っている。

そのような生活が実現するためには、正しい犬猫選びから始まり、正しい飼育管理を学ばねばならない。

この点において100CLUBはどこまでも飼育しようとするか方々に対しサポートを惜しまないつもりでいる。

 
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