溺愛しなきゃ意味がない

誰しもが、自分の育てている犬や猫たちが世の中で一番可愛くてかけ替えのない存在だと思っているに違いない。

純血種では、それぞれの犬種、猫種でスタンダードを競って順位を争うことに血道をあげている人たちがいる。
純血種の場合、そのスタンダードの客観的な評価基準を一定に保つことなしには純血種の存在の意味がなくなってしまうのだから、このようなコンクールの意味合いは理解できる。
また、フリスビーやアジリティ、ルアー・コーシングなど、さまざまスポーツをやることで、それぞれの犬の能力を競いそれを楽しむことも盛んに行われている。
しかし、そのようなことには一切関わらず、ペットとしパートナーとして犬や猫たちと暮らしておられる方が圧倒的多数を占めるのではないかと思う。

犬たちを飼うことで、その意味合いが人それぞれで、そこに何の問題もないと思うのだが、どのケースにおいても犬が健康であることが大前提となる。

以前のスタッフ犬、シェパードの「レイ」は、当時日本のシェパード界では名血の仔として、しかも同胎から1~2の仔が選ばれ私がその一頭をいただいた。
そして、「馬肉」、「カルシウム」、「ヴェジタブルズ」だけを与え、また訓練など一切なしで育て上げた。
ショーに出る資格も何もないので客観的な評価はゼロなのだが、私の目から見れば、これほど立派なシェパードは何処にもいないし日本一だと自画自賛している。

犬でも猫でも、また純血種であろうとMIXであろうと、自分の育てている子が自分にとって何にも勝って最高だ。と、そう思うのが当然であり、人間の子育てでは溺愛は厳禁かも知れないが、犬や猫たちはいくら溺愛しても足りるということはないだろう。

 
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