犬語など分かる筈はない
犬語が分かるという本があったり、そう言っている人がいるようだが、そんなバカなことがあっては堪らない。
犬や猫たちは、人間のように言葉を巧まざるところが立派なのではないか。
人間というのは愚かなもので、ああ言えばこう言い、詭弁や偽善に満ちた言葉を弄し、人を欺き、己をも偽る。そういう悲しい動物が人間なのだ。
犬のどこにそんな薄汚いところがあるというのだろうか。そういうところが微塵も無いからこそ、人は犬と暮らすことで救われるのだ。
犬が獲物を追う時、そんな姿は滅多に見られるものではないが、先日のルアー・コーシング、いわゆるドッグレースにでは、久しぶりに獲物(疑似餌)を狙い一心にひた走る犬たちの姿に感動した。
走り出す瞬間、それまで従順でいた犬たちは飼い主のことなど忘れ、全神経は躊躇なく獲物に向かう。
ヨーイ・ドンでも飼い主から離れられない、このゲームに不慣れな子たちもいるにはいるが、初めての子でも狩猟本能に長けた子は迷うことなく獲物を追いかけ振り向くことなどない。
どんな風に犬を飼うのか、それは飼い主の勝手なのだが、犬や猫たちを己の欺瞞の道具にだけはしないで欲しい。そして犬を憐れむような目線も止めてほしい。
人間なんて犬と比べてもそれほど立派な存在でも何でもない。むしろみっともないというレベルなのだと思う。
自分はそう思っていて、少しでも犬を見習うよう心しているのだが、未だ、とても犬ほどの勇気すら持てないままでいる。