花咲か爺さん

用賀に越してきておよそ2ヶ月、ようやく落ち着いてきたところなのだが、私自身、犬の散歩すらままならず、店に座って、電話番とショップに見えたお客様とお話ししているだけの、ほとんど隠居状態の日々が続いている。
そんなある日、昔、盆栽に狂っていたころ手に入れた睡蓮鉢があることを思い出した。以前から、この鉢は邪魔者扱いで、その値打ちなどいささかの興味もないスタッフたちは、駒沢のショップの時は傘立てに使ったり、ほとんどゴミ箱扱いだったりしていた。
暇をもて余していた私は、その鉢を引っ張り出し店の隅で睡蓮でも育ててみようと思い立ったのだ。
睡蓮そのものはインターネット通販で注文した。
品物が届くまでは、まるで子供のように指折り数えワクワクして待っていた。
宅配便で届けられたダンボールを開けると、たっぷりと水を含んだビニール袋に、苗鉢に植えられた一株の睡蓮が入っていた。早速、すでに用意してあった販売店が推奨する大きさの鉢に薔薇専用の用土、腐葉土を配合し植え付けた。
その際、株の中心部分に花芽と思える小さな膨らみのあることに気付いたのだが、販売店から、花芽がついている株でも環境が変わるので開花するとは限らないとの断り書きがあったので、この花芽が開花することには期待を持たなかった。
鉢の中の健全な生態系を保つため、近所の金魚屋に行ってメダカを入手したのだが、クロメダカとヒメダカで迷った挙句、両方5匹ずつ欲しいと言ったら、繁殖する可能性があるのだから、どちらかに決めてくれないと困ると、金魚やのおばさんに叱られてしまい結局クロメダカ10匹を睡蓮の甕中に入れた。

それからというもの、店にいる時は日に何十回も鉢の中を覗き込んでいて、まるで花咲か爺さんになったような有様で、そんなに覗き込んでいてもパッと花が咲くようなことはあり得ないことは承知している。
ところが、どうもその願いが通じたようで、覗き込むごとに、水面の下にあった葉が、何葉も水面上に開き、何と、株元から花芽がみるみる成長してきて、ものの3週間ほどで写真のような、まるで水の精のごとき美しい花が咲いた。
睡蓮という名の由来は、夜になると睡眠をとる蓮に似た花からきているそうだが、確かに夜になると花が萎み、また朝になると花が開く。
甕中という本当に小さな世界で、睡蓮が成長し見事な花を咲かせ、メダカもオスがメスを追いかけ始めている様子を見ていると、植物、そして魚、またバクテリアにいたる鉢の中の自然の生態系がバランスよく成立し、それぞれの生命の連鎖が繰り広げられていて、大いに気分を和ませてくれる。
私も、出来ることならこの鉢の中に入って暮らしてみたいとまで思った。

0905191

 鉢の中の小宇宙を好環境にすることは割合容易ではあると思うのだが、その宇宙規模を拡大し、地球環境問題についてこれを実現することなど、手に余るほどの大問題だ。だからと言って手をこまねいているならば、確実に地球は滅び去ることになるという。今や、エコ、エコという掛け声が氾濫しているが、こういう事態をもエコビジネスに結び付けようとの魂胆が見え隠れする。

私たち一般の人間が、自然に直接関心をもつことで、気の長い話にしろ、その延長線上に地球規模の環境問題の解決にまでつながる可能性もゼロとは言えない。
かつて、大衆の力が世界を変えることになったことも、歴史的事実として存在する。植物や、犬や猫たちという、私たちの身近にいる自然に近い生命を、自然の法則にのっとって愛着を持って健全に育て付き合うことによって、そんな1人1人の心持が、国家という巨大な権力構造を穿つこともあり得るのではないか。
鉢の中に咲いた睡蓮の見事な花を眺めながら、夢見心地にそんなことが頭に浮かんだ。

 
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