禁じられた遊び

何度も何度も止めようと誓ったタバコがどうしても止められない。

家でも事務所でも、周りの者のひどい嫌味や煙ったそうな顔にめげずに、すぱすぱタバコをふかしている。そんな雰囲気の中で吸っていても、タバコが旨くもなんともなく、ただ癖なのか惰性でふかしている、というのか逆に、どこまでも迷惑を掛けてやるぞと言わんばかりに開き直ってタバコをふかしている。


ところが今朝、いつものように自転車で家を出て、砧公園の中を走っていると、実にさわやかな秋の日に照らされたベンチがあって、唐突にそのベンチに座ってみたくなった。

芝生の遊び場には、三々五々、家族づれや犬連れの人たちが座り込んで楽しそうな団欒の時を過ごしている。

すっかりいい気分になったその時、急に煙草でも吸ってみようと思い立った。


公園のベンチに座ってタバコを一服するなどという、どちらかと言えば当たり前のシチュエーションだと思うのだが、ほぼ毎朝、公園の端から端まで自転車で走り回っているのに、自転車を降りるときは写真を撮るとき以外にはなかったことで、この時まで、ああ公園にはベンチが置いてあるものなのだという実感を持ったことがなかった。

そして、何故すぐさまタバコを取り出して吸い始めなかったのだろうか?という疑問が頭をよぎった。

瞬間的に自問自答してみると、そこにはタバコを吸っている自分に向かって、文句たらたら嫌味をグタグタ言う輩が誰もいないからではないか、ということに気が付いた。


自分の周辺には誰もいない、さわやかな秋晴れの公園のベンチにたった一人で座っていて、そのことだけで十分贅沢な時間であって、タバコごときに頼るべき必要もなく、戦う相手も誰もいない奇跡の時間だったのだ。

そうなのだからタバコを吸う必要もないはずなのに、なぜタバコを吸おうと思い立ったのかというと、数日前に買い求めて忘れてしまっていた携帯灰皿がかばんに入っているのを急に思い出したからなのだ。最近なんでも忘れてしまうのだから、何もこんなところでどうでもいいことを思い出さなくてもよさそうなものなのに、もう思い出してしまったのだからどうしようもない。


滅多にないだろうと思える秋日和の、朝の公園のベンチ。しかもたった一人。

この十数年間、タバコがこれほど上手いものだと感じたことはなかった。ついつい2本も立て続けに味わってしまった。

この話は誰にも言わないつもりでいた。私だけの秘密の楽しみにしておこうと思った。

今このブログを書き始めたのが午後5時頃なのだが、黙っていられるのはそれが限界だった。

 
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