生命の連鎖

仮にも、馬という美しい動物の肉を、何とも愛らしい犬や猫の食餌として推奨し生業としている者として、家畜の屠畜について目を背けるわけにはいかないとかねがね思っていた。
何も、私のような仕事をしているものだけでなく、獣肉をむさぼり食べているあらゆる人たちも、決して知らん振りは出来ない筈だと考えていた。
恐らく、そんな残酷な場面は、想像しただけでもご免蒙るという方が大半だろう。
実は私も何回かの屠畜場見学の機会があったのだが、いざという段階になって結局腰が引けてしまったのだ。

何でこんなことを書き出したのかというと、今夢中になって読んでいる本のことをどうしても紹介したくなったからなのだ。
その本のタイトルは「世界屠畜旅行」という。
著者はイラストレーターの内澤洵子で、彼女は世界数十カ国を巡り、牛、豚、鶏は無論のこと、らくだ、羊、猿そして果ては犬まで、その屠畜現場をイラストルポルタージュしたのである。
これは物凄い仕事だ。

犬も猫も肉食動物であるが、人もとにかく肉を食べる。
講談社ノンフィクション賞の「もの食う人びと」(辺見庸著)でも、人が生きているということはひたすら食いまくっているということなのだ。
そうであるからには、肉を口に入れるまでの、つまり屠畜から食品になるまでの工程に目を瞑るわけにはいかないのではないか。
生命を殺すということが悪行というのなら肉を食らうのも悪行に決まっているし、食べるのを良しとするなら、殺すのも良しとしなければ筋が通らない。

何事もにも、光があれば闇がある。
その闇に対しても、決して私たちは目を背けてはならないのだと思う。

 
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