犬養い

 いまだ“虎次郎”の眼差しが脳裏に染みついていて、その体温までもが手に感じられる日々が続いている。
 そんなある日、テレビのニュースで、宮崎県で口蹄疫被害を受けた畜産業者がインタビューに応え、涙ながらに言った言葉にハッとさせられた。
 「私は45年間も牛やしないをやってきましたが、今回こんなことに……」
 この「──牛養(やしな)い──」
 という言葉が胸を打った。
 牛を飼う。犬や猫を飼う。そう言う言い方しか、自分自身も言ったことがないし他の人からも聴いたことがない。
 5・15事件で暗殺された「犬養首相」も、「いぬかい」と読むのであって「いぬやしない」とは言わない。
 
 「──牛養(やしな)い──」と言った畜産業者がどんな方なのかは分からない。
 九州のほうではそういう言い方をするのかもしれない。
 しかし、私は、よほどの詩心がなければこのような言葉は出てこないのではないか。
 そう思った。
 口蹄疫の地獄の只中にあって、養っていた牛たちへの愛惜の心情のすべてがこの「牛養(やしな)い」という言葉に集約されているように感じた。
 
 そう言えば、歌人で小説「野菊の墓」の伊藤左千夫も千葉県の牛飼いであった。100717a1

 牛飼いの左千夫が歌人であれば、犬飼いの平岩米吉も歌人であった。100717b1 牛でも、犬や猫たちにしても、花にしても、およそ生命あるものと付き合うということは、平穏な日々だけが続いていくのではなく、むしろ労苦の連続ともいえる日々のつかの間に、譬えようもない喜びや美に触れる瞬間があるのだと思う。
 
 唐突な話になってしまうが、私は野菊が好きで、この春頃からショップの前に7種類の野菊を鉢植えにして水遣りをしていた。
 そんな折、“虎次郎”の一件があり、手厚く埋葬したつもりなのだが、その埋葬の地をたくさんの野菊で埋め尽くしてやろうと思い、それぞれの野菊を挿し木にして30倍くらいの量に増やしている。

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 ところで、スタッフ犬の“桜”の様子については、飼い主になってもらった群馬のOさんから、ほぼ毎日のように電話が入ってくる。
 “桜”は、まだ抗生剤の投与中だが、すっかり新しい家族にも慣れて、“桜”らしさを大いに発揮している様子だ。
 「毎晩、夜中の2時頃にはおしっこに連れて行けって起こしに来るんだよ」
 “桜”が使っていたステンレスの犬舎も持っていったのだが、どうもOさんと一緒に寝ているようで、
 「俺の寝床を“桜”に取られちゃったよぉ。ガッハッハー」
 「かみさんと“桜”で毎晩いびきの競争だよぉ」
 
 Oさんに“桜”を預けに行ったときは、“桜”の顔もまともに見られず、逃げるような思いで帰ってきたのだった。
 ところが、今回の一件で、“桜”の新しい飼い主さんはOさんにお願いするしかないと見込んだのだが、その見込み以上に親身になって“桜”の面倒をみていただいていることについて本当に感謝の言葉もない。
 すごく身勝手な言い分に聞こえるかもしれないが、“桜”の性格からして、今回のことがストレスになることはなく、むしろ、家と庭を出入り自由にさせるほどのOさんの動物に対する稀有な愛情によって、“桜”の充実した余生が約束されたのではないかと思うようになった。
 “桜”についての情報は、今後も逐一コラムにて報告していく所存でいる。

 
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