犬や猫たちと向き合うあるべき精神
本を読むことがかなりしんどくなってきて、最近では詩、そしてアフォリズムを集めたものなどを読んでいる。
今は、エリック・ホッファーの「魂の錬金術」を読み始めた。
その中の一つに
「生き物を礼讃できなくなるということは、精神の死の兆候である」
との一節が目に留った。
動物のみならず植物も含めたあらゆる生命に対する人間の態度は、その人間の精神価値を決めるものに違いない。
別に、ロバート・ハリスが編んだアフォリズム集がある。
そこには「犬蹴りの法則」という話が書いてあり
「猫をどう扱うかによって、その人間の価値が解る」
というのもある。
アフォリズムとしては当たり前のことを言っているようでもあるのだが、私は仕事柄、毎日のように犬や猫を飼養する方たちと接していて、そのたびに大きな感動を受けている。
犬や猫たちと暮らす方々は、人間以外の生命と濃密な絆で結ばれている。
したがって、先に示した二つのアフォリズムは、その方たちに示したのではない。
ペットを取り巻く行政や団体の悪弊、そして利権をむさぼる組織や企業、また自戒の念も含め、生命と向き合うことは人間としてのあるべき精神を問われることになるのだ、ということを肝に銘じなければならないと感じたからに他ならない。