犬の方が立派なのかもしれない

先週の土曜日、日曜日と、那須で開催されたルアー・コーシングのジャパンカップを見学に行った。

ルアー・コーシングとは、いわば、グァムやマカオでやっているドッグレースと原理的には一緒なのだが、レース場が完備されているわけではないので、ルアー(疑似餌)を人がコントロールして犬に追わせ、ゴールするとそのルアーをオートバイでまたスタート地点に運ぶという大変な手間を掛けざるを得ない。

しかも、ルアー・コーシングがいつでもできる常設された施設が無いものだから、前日から設営し、2日間に亘ってレースを行い、そしてまた撤収というとんでもない労力を必要とするのだが、主催している「the NPA」のスタッフ一のみなさんのご苦労には頭が下がる思いだ。

今、日本にもカジノ構想が再燃していて、何でもかんでも、憲法までも勝手に解釈し、変更してしまう政権なのだから、カジノができる可能性も否定できない。

もしそうなったら、ぜひともドッグレース場を併設し、ギャンブルとは関係ない一般の愛犬家にも昼間には会場を提供してもらえないだろうかと思っている。

それにしても、犬たちがルアーを一目散に追っている姿には感動を覚える。

このところW杯のサッカーを見ているが、そのスーパープレイ、例えばアルゼンチンの守備などを見ていると、人間もなかなかやるものだと感心する。

犬並みだなぁと思ったりもする。

目標に向かっては一切躊躇しない。妥協もしない。あらんかぎりの力を惜しみなく発揮する。やるんだったら今でしょ!何て言われるまでもなく犬たちは、その今にすべてを賭ける。

そんな人間はめったにいるもんじゃないと思うのだが、功成り名を遂げた人間に共通するのは、ここのところなんだと思うのだが、リスクを恐れるばかり何にもできない人を見かけると、あなたが面倒を見ている犬たちは、もしかするとあなたより格段に立派な存在かも知れませんよ、ともう少しで口に出したくなることがある。

 
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