犬と同じでグルメじゃない私

最近になって、家族から大ひんしゅくを受けて少し落ち込んでいるところだ。
どうも歳のせいか、些細な批判にもずいぶん弱くなってきていて、心が折れるほど落ち込むことすらある。

その、ひんしゅくの訳は、私が、食い物の話しばかりしている、というものだ。要するに食い意地が張っていて卑しい品性を感じるらしいのだ。
犬のことばかりを考え、犬と生活を共にしていると、だんだん犬に似てきて、犬のように食い意地が張ってきたのかも知れないのだが、そのことは今に始まったことではない。

確かに以前よりその気が強くなったところがあるような気もしている。
朝飯にしろ夕飯にしろ、もしかするとこれが最後の飯になるかも知れないと、いちいち意識しているわけではないのだが、一箸一箸を口に運び、ゆっくり噛みしめ味わう、その瞬間が、妙に愛おしくてならない。

私の場合、酒が主で、食べ物はすべてつまみという位置付けで、ちびりちびりとやっているのだから、普段でも時間が掛るのは止むを得ない。
それが最近はその倍くらいの時間が掛るというか、容易に終わりがない感じなのだから、とても一緒に付き合ってはいられないだろうが、せめて文句は言わないでほしい。

私の育った時代は、早飯早糞芸のうちといわれ、もたもた飯を食っていようものなら怒鳴られた。
それが今の時代は、食べ物についての情報が一つのジャンルになっていて、あらゆる食べ物がランキングされるようになっている。
東京ラーメンランキングとか、何でも順位をつけられて口コミなども紹介されていて、それを頼りにあちこち食べ歩く、即席グルメ人も激増しているようで、その薀蓄もただならないものがある。

私の場合、食べ物の話ばかりしていると悪評をかっているのだが、近ごろのグルメとは全く違う。ただ、豆腐と納豆、そして珍味のなめもの、付け加えるならばサバ缶に少しうるさいことを言うくらいのものだ。
それだけのものを一箸一箸楽しんでいるだけなのだ。時には酒の肴を口に入れて味わいながら、不覚にも涙することすらあるのだ。
どうか、そんな些細な喜びくらい、そっとしておいて欲しい。

 
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