犬たちは己を映し出す鏡である

クリスマスイブに、兄チルチルと妹のミチルが幸せの「青い鳥」を探しに冒険旅行をする、この戯曲を書いた、ノーベル賞作家のメーテルリンクは無類の犬好きとしても知られている。
平岩米吉も著書「私の犬」の中でメーテルリンクの著書「私の犬」のことを書いているが、その中の言葉の一つを紹介したい。

「融和できる、疑いの余地のない神、明白にして決定的な神の存在を見いだして認めた唯一の生物が犬なのだ。この動物は、自己の最良の部分を、何に捧げればいいのか分かっている。自分より上の、いかなる存在に献身すべきなのかを知っている。犬にとっては暗闇やらうち続く嘘のなかに、憶測やら夢物語のなかに、完璧で、卓越した、広大無辺の力を探し求めることなど不要なのである」

この言葉を解説する必要などないかも知れないと思うのだが、念のため解釈を加えておく。
これは、やりきれない程の暗闇に生きる宿命を持った人間と、何の疑いもなく神の存在を認め従っているかのような奇跡のごとき純粋な犬とを相対して表現したものだ。

もう一つの言葉を引用する。

「犬とは、人間が、純粋の愛の支えとするために、あえて地上の被造物から選び出した動物なのである」

洋の東西を問わず、人間が犬への思いを書きつづった言葉は限りない。
そして、その限りない言葉を集め一冊の本を書いてみても、そのことによって何も解決はされないし、犬たちがいつまでも私を驚かせ続けるであろうことが、私には分かっていると、犬ものがたりを書いた歴代の著者たちが口を揃えて言っている。
犬ものがたりは動物学に留まるものではなく、犬たちの観察を通して、愚かに過ぎる自分という人間が映し出されることになるはずである。
そうでなければ、犬たちと暮らす妙味は半減するに違いない。

 
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