村上春樹またもや賞とれず
1963年5月。モダンジャズのピアニスト、セロニアス・モンクが初来日公演をサンケイホールで行った。
私は19歳で、田舎から汽車に乗って公演を聴きに東京へ出掛けてきた。
その前後、アート・ブレーキー、マイルス・デイヴィス、ソニー・ロリンズ、キャノンボール・アダレイ、エラフィッツ・ジェラルド等々、きら星のようなジャズマンたちの来日公演はことごとく聴きに行った。
その中でも、セロニアス・モンクの奇人ぶりは知られていて、順当に演奏がなされるのかどうか、ということも話題になっていたように記憶している。
何曲目だったか、モンクのソロが終わってテナー・サックスのソロが始まったとき、テナーソロのバッキングもしないで、モンクがピアノの席からフラフラと立ち上がり踊りながら舞台を行ったり来たりしだした。
そして、再びモンクの演奏するタイミングになったとき、余りにもピアノから離れていたため、モンクは相当慌ててピアノまで小走りに走って、座る間もなくピアノを弾き始めたとおもうと、やおら肘で激しく鍵盤をたたいた。
奇人、怪僧など、モンクに張られたレッテルはおよそ常軌を逸しているかのようなもので、行動もそうならその音楽性も特異なものであった。
ジャズの中でも、そのユニークさにおいては際立っていて、マイルス、ロリンズ、コルトレーンなど、モンクの影響を受けたミュージシャンは数多い。
モダンジャズの時代において、セロニアス・モンクの独創性は群を抜いていたのである。今でも毎日聴いているジャズの中でも、モンクを聴こうとするときは、特別な頭の切り替えを必要とする。そうしなければ、研ぎ澄まされたような一音一音を迂闊に聴き逃してしまうのではないかと思うからだ。
何でこんなことを書いてしまったのというと、数日前「セロニアス・モンクのいた風景」というタイトルの村上春樹の編・訳本が出てそれを買ったのだ。
そして昨晩その本を読んでいるところTVで、今年も村上がノーベル文学賞に選ばれなかったとの報が流れた。
これからはジャズを書いたものだけでなく村上の、小説も読んでみようかと思った。
どうして毎年賞をとり逃してしまうのだろうか。
賞をもらおうがもらうまいが村上春樹は変わらないし、どうでもいいことに思える。