捨身飼虎のひと

去年、9年以上暮らしていた愛犬を亡くしたHが、同じキャバリアを保護犬として受け入れることを決めたという連絡があった。
ところがメールによると、雌のキャバリアで、年齢が多分8歳くらい、そして乳癌の施術を受け転移が見られるかどうかを見極めていて、その結果を待って受け入れるかどうか最終決定するのだという話だった。
私はあわててそれは止めた方がいいのではないか。
仔犬から飼うのが理想だと思うのだが、保護犬にしても、よりによって癌になってしまっている老犬を選択することは、火中の栗を拾うというか、あえて修羅場に飛び込むようなもので、出来るだけ健康な犬を選ぶべきではないか。
そういって反対するメールを送った。
即刻返信があり、自分はその重大な病気に罹患してしまっている犬を飼いおおせる自信があるので、どうしてもこの犬を保護することに決める、ということだった。
そこまで言い切っている以上、これ以上反対する理由もないし、そうと決まったのなら当方としたら出来る限りのサポートをすると伝えた。

それでも今後が心配でならない。
いろいろ考えてみたが、私には今もってこのような選択をする真意が理解できないままでいる。
このような行為は、法隆寺の国宝、玉虫厨子に描かれた仏教の説話「捨身飼虎」(釈迦の前世であった薩タ王子が崖下の飢えた虎の親子を憐れみ着衣を木に掛け飛び込んで救おうとする)そのもののような気がして、今回のHの行動は人間を超越しているように思える。
やはりこれからのことが気になって仕方ない。

 
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