戌年を迎えて

060101_011 創業以来、おかげさまで何とか6度目の新春を迎えることが出来た。
本年も、私たちのやるべきことは、これまでと変わりなく、オリジナルフードとサプリメントの普及を、犬や猫たちの生涯の健康のため、愚直に、ひたむきに続けていくのみであろうと思っている。

昨年は、止むに止まれず、事務所に秋田犬3頭、そして日本スピッツ1頭を入れてしまった。どうしてもオリジナルフードとサプリメントを使って犬を育てて、その仔犬たち、そしてまたその仔犬たちがどんなことになるのか、改めて徹底的にやってみようと思いたったからなのだが、実のところそういう理由をつけなければ周りを納得させられなかった訳で、正直言えば数年間犬がいなかったことに我慢がならなくなってしまったのだ。
ところが、後半、ひどく体調をくずしてしまい、犬の散歩もままならないような状態になってしまったのだが、かえってそうなったことで、毎日、長時間にわたって犬たちを観続けることが可能になった。
おかげで、物心がついたころから犬と一緒に暮らし、以来、人後に落ちない犬キチでありながら、これほどまでに犬との濃密な時間を持ったことはなく、そういう意味では幸せだった。

特に、オス犬の「虎次郎」とは常に話をしている。無論、話の内容が伝わっているなどと思っている訳ではないが、ぶつぶつ独り言を言うようになると危ない感じもするが、犬にしても相手がいるのだからそれほど変でもないだろうと思っている。ほかの子たちはそんなことはしないのだが、「虎次郎」だけは、かなり長時間話し続けていても、それを飽かずに聞いてくれている。
話の内容は、多くの場合、タガが外れてしまったかのように日々おこっている末世的社会事象についての私のぼやきである。

「いんちきなマンションやホテルを建てた悪いやつらがいるよ…」
「また子供が殺されてしまったよ…」
「この商売もいつまで続けられるか、これ以上税金上がったらとてもやっていられなくなるかもしれないね…」

そんな話をしているのだ。

話が通じているはずもないのだが、私が何を言わんとしているのかを懸命に理解しようとしているかのように私には見えるのだが、そうであろうとなかろうと、そんな話をしている時の私も、私の目を食い入るばかりに見入って満足そうにしている「虎次郎」にとっても、この時間はまさしく至福の世界なのである。

その「虎次郎」と「珀」の仔犬たちも60日を経て、丸々と肥えて元気いっぱいに育っている。無論、離乳食から馬の生食である。060101_021

  私が、犬や猫たちの食餌は生肉でなければならないと考えるのは、あらゆる自然を家畜化してきた人間の歴史的過程にあって、現代の生活で飽食状態にある人たちが飼育する犬や猫たちに対しては、せめて、罪滅ぼしとして肉食動物には肉食動物本来の食餌を与えてあげるべきではないかと思うからだ。

犬、そして猫たちまでもが、永いこと人間に寄り添って生きてきたがために雑食動物になった…という、とんでもない“まやかし”を前提にしなければ成り立たない、ペットフードという家畜の飼料を編み出した人間の傲慢によって、多くの犬や猫たちが病苦に苦しみ、飼い主もノイローゼに陥り、ペットフードメーカーと結託した動物病院は大繁盛という構図が出来上がっている。
6年もこの仕事を続けてきて、この点において怒りは増すばかりである。

たまたま、今、仔犬を育てている私が、バイブルのように傍らにおいている書物は、動物行動学でノーベル賞を受賞した、コンラート・ローレンツの「ソロモンの指輪」「人、イヌに会う」、そしてその一派であるエーベルハルト・トルムラーの「犬の行動学」である。

後者の一説を引用する。


「…もし誤った飼育を行えば、生理学的見地から見て、犬が衰弱し(自然状態においても時には発生する)、抵抗力が充分発達せず、これら寄生虫(ウィルス、バクテリア)の餌食となり、健全な「種」の保持のために淘汰がなされるのです。したがって、これら寄生動物は、高度な淘汰作用をおこなっていることになります。
…なぜなら、寄生動物に対する抵抗力は、自然食で育った犬に与えられるものであるからです。犬の本来の姿を知らず、炭水化物を主体として育てれば、いかに生物学的に犬が健康に生まれついていようとも抵抗力が低下し、犬を倒すまで寄生動物が繁殖してしまうことでしょう。」
                          渡辺 格訳  中公文庫より


 ここで言っているところの犬や猫たちの自然食というのは、すなわち生肉食のことである。

犬や猫たちを絶対に病気にさせない正しい食餌管理を行えなければ、真の愛犬・愛猫家とは言えないだろう。
あざとい広告やマーケティングに踊らされて、犬や猫たちを生涯苦しめる事のない様、一人でも多くの飼い主の皆様が、正しい犬や猫の飼育に目覚めていただけるような、そんな戌年になってくれることを願うばかりだ。

 
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