小さな巨人

 サンフランシスコのバークレーにChez Panisseという、小さなレストランがあります。
その小さなレストランのオーナーシェフは、アリス・ウォーターさんという女性です。
10年程前、一緒に仕事をしていたアリスの友人のIさんに誘われ、「この店では滅多に食事をすることが出来ない。」と言われているその「Chez Panisse」で、食事する機会に恵まれました。
このお店は1メニューしかなく、当日のメインはポークミートで、当然、お客様全員はポークミートを食べていたのですが、Iさんは「あたし、ポークは駄目!別なものに代えてェ~」と駄々をこね、Iさんだけは平目のムニエルを食べることになりました。
店内は10組前後のテーブル席があり、そのスペースの3倍位がオープンキッチンになっていて、シンプルでウッディー、何よりも隅々まで徹底した清潔感に溢れた空間になっていました。
その日、私が食べたポークミートは格別な味で、今まで、そしてその後食べたポークミートとは全く違う食材としか思えず、「Chez Panisse」のポークミートがポークミートだとしたら、他のポークミートは一体何ミートなんだ? という位に感じました。

 食事が終わる頃合に、アリスがハーブティーを持ってテーブルにやって来ました。
ひとしきりIさんと話されていましたが、私のプロフィールを紹介したところで、「今日の食事はいかがでしたか?」と、とびきりの優しい微笑で私に話しかけられました。
ワインの勢いもあって、私はアリスに「私は今夜の食事、大変感銘を受けました。ところで、Chez Panisseを東京に作ってみたいと思い付いたのですが、どう思われますか? また日本から貴女の店に料理の修業に来るとしたら、引き受けてもらえるでしょうか? 一人前になるには、どの位の期間が必要ですか?」など、不躾けな問い掛けをしてしまいました。
アリスは微笑を絶やすことなく、落着いた様子で次の様に答えてくれたのです。

「Chez Panisseの東京店は、素晴らしい考えで大賛成です。但し、前提条件があります。
貴方は自分でファームを持つことが出来ますか? そこで畜産や野菜など、安全で栄養価の高い価値ある食材を生産することが出来ますか?
「Chez Panisse」が毎日1メニューである理由は、全ての食材を自分のファームで作っていて、その日のベストの食材を選んで提供しているのです。料理人の修行は、1年間で充分です。何故なら料理というのは、素材が90%、後の10%だけ人間が手伝えばいいのですから・・・・・」

 私は食事もさることながら、アリス・ウォーターのこの言葉を忘れることが出来ません。

 その後、新聞や雑誌でアリス・ウォーターのニュースを何度か目にする機会がありました。
ホワイトハウスの晩餐会では、何故フランス料理なのかということに対し、アメリカ料理であるべきだという働きかけをして改革を成したこと。またアメリカの小学校の校庭の一部を菜園にし、「食」の素材の大切さを教育するべきだと運動を起こし、現在、2,000校もの学校に菜園が出来たことなど、素晴らしい業績を知るにつけ、アリス・ウォーターの強固な理念とそれを実践する勇気にただただ頭の下がる思いがしました。
「食」というものは人間の生命・文化など、それを支える基盤であり、その根幹は健全な素材なのだというアリス・ウォーターの主張は正論であると同時に、その「正しい食」を追及するために素材作り・料理のあり方、そして食べる環境という全ての現場に徹底して関わるという姿勢に、感動すら覚えます。

 結果として「Chez Panisse」を東京に作ることは実現しなかったのですが、今、100CLUBは犬や猫たちの生命を守るために、その基盤となる「食」について、「Chez Panisse」と同じことはとても出来ないにしても、大いに学ばねばならないと肝に銘じているのです。

 
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