南極物語秘話

1956年(昭和31年)、第一次南極観測隊が南極に昭和基地を建設した。
その第一次越冬隊が、事由はいずれにしても、撤収に際して15頭のソリ犬(カラフト犬)たちを第二次越冬隊に引き継ぐため、首輪抜けしないよう首輪の穴を一つちぢめ、一列にワイアーに繋ぎ置き去りにした。

ところが運悪く、第二次越冬隊員を乗せた「宗谷」は、南極の厚い氷に閉じ込められ、アメリカの砕氷船に救助されながら昭和基地に向ったが、この年、第二次越冬隊は昭和基地にたどり着くことを断念し撤退した。
その結果、置き去りにされた15頭の犬たちは、第三次越冬隊が来るまで、丸一年間、極寒、無人の昭和基地に繋がれたままであった。

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 第一次越冬隊員で、この件に関わった、現九州大学名誉教授、北村泰一氏は、せめて自分の手で置き去りにした犬たちを埋葬してやりたいという思いもあって第三次越冬隊に志願したと言う。
ところが、昭和基地に着いてみると、二頭のカラフト犬、「タロ」と「ジロ」が奇跡的に生きていた。
鎖に繋ぎ置き去りにした15頭中、8頭の犬たちは首輪から脱出していたが、それとはうらはらに、脱出できなかった犬たち7頭はそのままきれいな姿で横たわって死んでいた。一頭ずつ海に葬られた。最後の一頭が、暗い海にゆっくり沈んでゆくのを見て、北村氏は魂がつぶれたと告白している。

脱出した8頭の犬たちの内、2頭の生存が確認されたが、6頭の犬たちは行方不明のままだったのだが、その後、第九次越冬隊によって一頭の犬の死骸が発見された。しかし、このニュースは、当時犬たちを置き去りにした事件が社会問題化したことで、その再燃を恐れ、つい最近、北川氏の秘話が明かされるまで世に知らされることはなかった。

ところで、北川氏の秘話のなかに、とても興味深い話がある。
置き去りにした犬たちは鎖に繋いでいたものの、日頃与えていた干鱈などの乾燥フードを、いつでも食べられるようふんだんに置いてあった。
ところが、不思議なことに、これらの食糧に一切手をつけたあとがなかった。その場で死んでいた犬たちも与え置いたフードに手を付けた様子も無く、共食いした形跡もなかった。
毎日食べ慣れているはずの食糧を全く食べていないのだ。その上、2頭の犬は、極寒の地に一年も放置されながら生存していた。

一体何を食べていたのだろうか。
謎ではあるが、おそらく、日頃食べ慣れている乾燥フードよりも気に入った食餌が、わりと簡単に手に入れることが出来たのではないだろうか。北川氏は二つの可能性を語っている。
一つの推定はペンギンで、もう一つはアザラシの糞である。
いずれにしても昭和基地から100kmもの距離を移動しなくてはそのような食餌にはありつけないというのだが、犬ぞりの労役をこなすほど体力のある犬たちであれば問題ない距離なのだと思う。
要するに、飼い込まれた犬たちも、野に放てば、人間が作り出したフードよりも、自分たちの生存のために最も必要とする適正な栄養源を自ら探しだし自給することを、思わぬことから実証することになったのだ。

自由を得た8頭の犬たちのなかで、なぜ、タロとジロだけが昭和基地に生き残っていたのだが、他の6頭の犬たちはどこに行ってしまったのだろうか。

北川氏によると、「タロ」と「ジロ」の2頭は、もの心がついたときから昭和基地に連れられてこられた犬で、そのほかは、他国の基地ですでに働いていたものを譲り受けた犬たちであった。
したがって、帰巣本能によって、タロとジロ以外の犬たちは、それぞれがもともと働いていた基地に向かったのではないかと推測されている。

南極大陸という、犬たちにとって苛酷な環境ではありながら、思わぬことから人の手を離れ自由を得たことで、犬たち本来の食餌を自ら選択し自給することが出来た。
置き去りにしたこと、そして第二次越冬隊が犬たちの扱いに手こずらないよう、鎖に繋がざるを得なかった処置について必ずしも不適切だったとは言い切れない。
しかし、結果として、せめて鎖に繋ぐことなどせずに、全ての犬たちを解き放ってあげたとすれば、きつく締められた首輪を外すときのダメージを受けることもなく、しかも集団で生活できたことで、もっと多くの犬たちが生存できたのではないかと思ったりもする。

      ※写真は東京タワーにある「南極観測ではたらいたカラフト犬の記念像」

 
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