人は同じ生命と暮らすから生きられる

良い季節になった。
さわやかな朝、「珀」と「雪」の朝の散歩に付き合った。
用賀で散歩をしている様子とうって変わって、散歩を楽しんでいる感じがして、家に住まわせた選択は誤りではなかったと確信した。

人間は、物がふんだんに身の回りにあったとしても決して幸せにはなれない。
生命あるものによってのみ救われるのだ。
言い方は多少変わっても、同じ意味を伝える言葉は少なくない。

花や樹木、小鳥、そして犬や猫など。
人間はそういった同じ生命の連鎖につながるものによってのみ救われるのであり、どれほど高価なものであれ物質からは救いは得られない。

今、日本は超高齢化時代を迎えようとしている。
そのような時代に成長経済政策をとることが果たして適正な政策なのだろうか。
人が経済では幸せになれないことを世界で最も思い知ったのは日本だったのではないか。
まさか、同じ轍を踏むような愚かな道を歩むようなことはないだろうな。
私の目の黒いうちに、二度とバブル経済などを起こすことがあってはならないと思っている。

先日、フランスのパリで、動物愛護団体がホームレスから犬を強引に取り上げるシーンが放映された。
事の是非を言うつもりではない。これは残酷な行為だ、
ホームレスでも、犬が居るから、あるいは猫が居るから生きていけるし、花を育てているから生きられるのだ。
そのような対象が無かったら人は生きていけないのであって、それ以外のものなんて何にもいらないのだ。

 
scroll-to-top