世界に一つだけの愛犬国

新年を迎え、今年こそはと少し力み返ってしまったようで、正月用にと買い込んだ数冊の本を読んでいたら、すっかり頭が混乱してしまい、挙句の果てに、近くの神社に行って狛犬に眺め入っていたら木の根に蹴躓いて足首をくじいてしまった。050201_11

 日本中の神社仏閣にある狛犬、そして稲荷神社にある狐の由来に興味を持ったことがきっかけで、混乱するほどに読んだのは、稲荷信仰、狛犬、日本オオカミ関係の本なのだが、いずれも、古事記、日本書紀、風土記、そして、神道、仏教、道教、儒教、また、神話、伝説、民話など膨大な記述が引用されていて、なお諸説紛々で、私などの頭では日本という国の成り立ちの混沌とした世界を実感したに過ぎない。

 ところで、日本オオカミが絶滅したのは、明治38年(1905)1月で、奈良県吉野郡東吉野村小川が絶滅の地となっている。
多くの書物によっても、この、日本オオカミは日本独自の種であり、中国の狼(ドール)とは違う種であるとか、山犬、野犬とか、無論、犬とは違うとか諸説ある。しかし、日本における書物は西暦 720年頃以降に書かれ始めるわけで、その遥か以前の縄文時代から1万年以上もの間、犬は人の生活に密着しながらも、リードでつながれていたわけでもなく放し飼いにされ、山野を駆け回っていたのである。
当時、オオカミと犬がどのように棲み分けていたのか知る由もないが、いまや、犬の祖先はオオカミであることは定説となっている以上、ことさらその差異を論じても余り意味を持たないのではないだろうか。

 前回のコラムで書いた通り、昨年、私は縄文時代の犬の墓を視てきた。
その体験から、以下は私の推論である。
つまり、1万年以上も前から、主に狩猟を生活の糧としていた縄文人は犬無しでは暮らしが成り立たず、犬もまた人無しでは暮らしが成り立たなかった。
犬と人との只ならぬ絆は、その死に対して、埋葬という信仰儀式を執り行っていた事実によって明らかだ。別の貝塚からは人と共に埋葬された墓までも見つかっている。
縄文期を経て、稲作を主とした弥生期に入ってからの犬の役割は、肉食動物の食性から、稲作にとって害獣である草食動物、つまり熊や鹿、猿、兎、鼠などを駆除する益獣として、人の生活にとってその重要性は何ら変わることはなかった。
このように、オオカミを害獣とするヨーロッパや中国と違い、草食動物を家畜化した遊牧文化の無かった稲穂の国日本では、土着の原始信仰、あるいは自然信仰の時代から、益獣としての犬あるいはオオカミは、神の使い、もしくは神として後の世に畏れられる存在となるべき連綿とした土壌があった。050201_21

 古代オリエントに端を発したといわれている獣神信仰は、中国を経て日本に入り、ライオン、獅子(架空の獣。沖縄のシーサーもこの類)の形から、阿吽(あうん)の対を成す狛犬という日本独特の獣神を生み出すに至った。
稲荷信仰における狐も、渡来人による宗教上の何らかの理由によって、同じイヌ科の肉食動物である狐を神、あるいは神の使いとした。
現在でも、日本中至る所の神社仏閣で見られる狛犬や稲荷は、犬あるいはオオカミを信仰の対象とした点において日本独特のもので世界には例が無い。
オオカミを、邪悪で獰猛、そして悪魔の化身のように既定したのは、酪農文化の発達した欧米や中国の話であり、世界で唯一、日本人だけが犬もしくはオオカミを神としたのである。

 そんな訳で、私たち日本の愛犬家の祖先は、犬たちを愛することにおいては世界に冠たるものがあるのであって、欧米の犬社界が先進的であるなどというコンプレックスを持つことなんか毛頭ない。
私たち日本の愛犬家は、私たちの祖先が犬たちとどのように付き合ってきたのかを学ぶべきであり、せめて、神社仏閣に詣でた際には狛犬に手を合わせるくらいの心がけを持ちたいものだ。

 
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