ハロウィンが恨めしい

本日、誕生日を迎え、満70歳になった。古希ということなのだが、いまどき70歳なんて希なことでも何ともなく、男の平均年齢にも遥かに満たない鼻たれ小僧なのである。

しかもこの日がいつのころからなのか、ハロウィンという古代ケルト人の収穫祭が、何故か日本に定着し、この日に奇しくも生まれた身にとっては、まるで悪霊でもあるかのような扱いを受けているのではないかと思いたくなるような気分なのである。


それでも自分なりに、ここまで波乱万丈で、よくぞ生きて来られたと、少々感傷めいた気持にもなっている。

何とかここまで来たのだからと、あと唯一考えていることは、この100CLUBの仕事の後継者を育て上げなければならないことだ。

それが間に合えばいいのだが、なかなか大変な作業である。


自分がこの100CLUBに掛けている想いは、多分誰にも分からないと思っている。

ということは、私という人間、この多分に偏屈で、頑固で、酔狂な、いわば変わったキャラクターを理解する人が、おそらく見つからないだろうと推測している。

加えて、おかしな性格があって、分かってたまるか、という、変に意固地になっているところもあるので周りのものは堪らないだろうとさえ思っている。


憎まれっ子世に憚る、という故事通り、まだまだくたばらないで仕事を続けていくことも可能なのかも知れないが、万一後継者が育たなかったとしたら、それこそ何のためにここまでドジ狂ってきたのか間尺に合わないこと甚だしい結果になってしまう。

いずれにしてもなるようにしかならないのだから、こんなことを話していても詮無いことだ。


若山牧水の歌は、この10月の頃、いつも口をついて出る。

「白玉の 歯にしみとおる秋の夜の 酒は静かに飲むべかりけり」

「人の世に たのしみ多し然れども 酒なしにしてなにのたのしみ」

「酒飲めば 心なごみてなみだのみ 悲しく頬を流るるは何ぞ」 


牧水の酒や旅の歌を挙げれば切がないほどで、どれも名歌だと思うし、我、今日の心境には、余りにもぴったりな歌ばかりだが、今では、こんな境地を分かってくれる友も少なくなってしまった。

 
scroll-to-top