ドイツ憲法「動物保護法」について

老眼鏡まで買い込んで、ドイツ憲法の「動物保護法」を読んだ。読むところから忘れてしまうので、読み進んでは元に戻ることを繰り返すため10日以上も費やしてしまった。
今、日本国憲法の改正問題が喧しくも聞こえてくるが、改正憲法に「動物保護法」が新たに付加されることなど、私の眼の黒い内には間違ってもないだろう。

日本では「動物の愛護及び管理に関する法律」が定められている。
その目的や内容についてはドイツの憲法とその趣旨に大きな違いはない。
しかし、憲法と法律では大分意味が違う。
ざっくり言うならば、憲法はその国のあり方を示し、あまねく国民に基本的人権を与え平等であることの権利を与えるものである。
法律は憲法をベースにして、我々国民に対しルールを決め規制し、それを犯すものには罰則を与えるものである。

ドイツでは「動物保護法」を憲法に定めたということは、動物に人間と同様な権利を与えるということなのだろうか。
ちゃんと読まなくてはならないと思ったのは、この点において興味を持ったからだ。

その結果、ドイツにおいて「動物保護法」が憲法にとりあげられている基本精神は、私流の解釈によると、「人間は、飼養されている動物、自然に生息している動物など、あらゆる人間以外の動物に対し、人間としての尊厳をもって徹底して適正に扱い、優しく接しなければならない」と、人間としてあるべき理想像をドグマ(教義)として憲法に掲げたのだと考えられる。
決して動物に権利を与えたものではない。

西欧においては「自己懐疑」の精神が、大人と子供を分ける物差しであるという考え方がある。
自分の言動は、常に間違っている、あるいは間違っているのではないか、という疑いを持てるか持てないか。他人に誤りを指摘されるのではなく、過ちを犯すに違いない自分を意識することが大人の資格だという考え方で、教会での懺悔もそのような考え方を形にしたものと言える。
「自己懐疑」の精神を美徳の一つとしている事は、人間とはそれほどきれい事ではないことを前提として、動物に対して何をしでかすか解らない人間の本性を見据え、あえて憲法にあるべき理想を謳ったのだと思う。
そうでもしなければ、動物と共生している人間の存在も危ういものになってしまう恐れが十分考えられるからに他ならない。

犬、猫の飼養に深く関わっている立場からすると、100CLUBのメンバーの皆様が、如何に人間としての尊厳に満ちている方たちなのだろうかと思わずにはいられない。

 
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