「自然の力を信じたい」
私は、犬や猫たちと同じくらい樹が好きで、一時は盆栽に熱中した頃もあった。
樹が好き、という言い方はちょっと変わった言い方のような気がするが、「人はかつて樹だった」という長田弘の詩集に感銘を受けて以来、樹が好きだ、という言い方が気にならなくなった。
世田谷区に住んで30年くらい経つが、去年、大蔵に越してから、毎日、砧公園を端から端まで自転車で通り抜けショップに通勤しているが、時折、気になる樹や花などが咲いていると自転車から降りて少しの時間でも眺め楽しんでいる。
私の住んでいる界隈は、砧公園、駒沢公園、馬事公苑、蘆花公園など、長い歴史を持つ公園があって、常に季節を感じられ、また鑑賞価値のある古樹も少なくない。
公園の樹木を自然といっていいのかどうか分からないところもあるが、盆栽などに比べると、けれんみのないところなどは自然樹といって良いのではないかと思っている。
犬にしても猫にしても、もはや野生ではないのだから、自然界の動物ではないのかも知れない。しかし、あらゆる行動は何万年と続く習性をそのままに残しているのだから、やはり自然物といって間違いではないだろう。
近年、人間そのものはいずれにしても、現代文明の進歩は著しいものがあって、もしかすると、その文明の進歩によって、私たち人間の自然性が失われているような気もしている。
そのままでいいものかどうか、もしこの進歩の方向性が誤ったものであったとすれば、私たちが拠って立つ地球環境も、人間としての寄る辺も、ものすごく不確かなものになってしまうのではないか?という危機感を持たずにはいられない。
そのように感じるのは自分だけなのだろうか。
これからも私は、犬そして猫の、その肉食動物の食性に沿って最もふさわしい内容の食餌を、馬に限らず提供し続けていこうと決意している。
それは、犬も猫も、そして私自身も、ありのままの自然体でありたいと望むからに他ならない。
犬や猫を愛して止まない人たちは、人間の持つ素朴な自然性、そして慈愛の心を持つ人たちに違いないと思っている。
自然を愛することは素晴らしいことであるし、私たちそのものが自然なのだ。
その方たちのためにも、もうひとふん張りしなければならないと思っている。