「絆」は何処にある

東北大震災を機に「絆」という言葉が世に踊った。
この言葉の旧い用例は、犬や馬、鷹などを人間がコントロールする綱のことだという。
それが転じて、人と人が深く結ばれること、例えば夫婦の絆などといわれる。
しかし、よくよく考えてみれば、人と人が深く結ばれるなどということ自体、それは言うほど簡単なことではない。
とても残念なことに、人間というパンツを履いた猿は巨大化した脳を持っているためか、他の動物と違い建前と本音を狡猾に使い分けることが出来る動物界でも稀な才能を持っている。
そこに人間社会で生きていくことのひとつの苦悩の源があるのではないかと思う。

人と人の関係において「絆」を結ぶことは容易ではないが、この言葉の語源通り、人と犬や猫の間では深い「絆」が存在する。
犬や猫たちと暮らす多くの人たちは、そのものたちとの「絆」によって満たされた生活を送っている。
犬や猫は一切無駄口を叩かない。
パソコンやスマホも使わないからツイッターもフェィスブックもラインもやらない。このブログのような災いを招くかもしれない余計なことは絶対やらない。
そういうつまらないことをやらないことが、どれほど健全な精神を維持ことにつながるのかちゃんと証明している。

そうでない人から見ると馬鹿じゃないかと思われるかもしれないが、このような世の中になったら、犬か猫かを相棒に暮らさなければ正気を保つのはそれほど簡単なことではない。
もし、人間同士の「絆」が結ばれたとしたら、それこそはまさにユートピアが現実化したことになるのであって奇跡といって差し支えないのだろう。
そんな世界を生きているうちに一度くらい体験したいものだ。

 
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